フランス ハリウッドの侵攻と防衛

 フランス映画界は、かつての栄光を取り戻せずにあがいていた。当時、フランスの大手映画会社パテ・コンソルシウム社は、ドイツのように国からの援助をもらえるようにと考えていたがうまくいかなかった。

 上映映画の一定の割合を自国の映画の上映に割り当てられるクォーター制がヨーロッパに導入されることを怖れたハリウッドは、イギリスやドイツ国内で製作を始めた。フランスでも、「ありし日のナポレオン」(1925)がグロリア・スワンソン主演、レオンス・ペレ監督で製作された。ハリウッド女優としてフランスに渡って映画に出演したのはスワンソンが初めてだった。

 かつての大コメディ・スターのマックス・ランデーもフランス映画のために戦っていた。1925年に、映画著作家協会議長に選出されたランデーは、フランス国内でフランス映画が見られるようにと訴えた。だが、そんなランデーは1925年に自殺している。