その他のフランス映画 1925年

 ジャン・ルノワールが「水の娘」(1925)でデビューしている。フランスでは、物語を語るのではなく、映像や編集のリズムで構成された、純粋映画と言われる前衛的な映画が作られていたが、「水の娘」もその1つと言われる。印象派に近い絵画的な配慮がなされていたという。

 ルネ・クレールも前衛的な映画「眠るパリ」(1925)を監督している。クレールは他にも、二重焼付けを使ってパリの景観を美化して描いた「ムーラン・ルージュの幽霊」(1925)も監督している。

 後にフランスを代表する監督のひとりとなるジャック・フェデーは、「雪崩」(1925)を監督している。継母を認められない少年の物語で、スイスで撮影された美しい風景や絵のようなコスチュームが魅力的だったという。

 ルノワール、フェデーと並び、後に古典フランス映画の巨匠の1人となるジュリアン・デュヴィヴィエは、ジュール・ルナールの原作を脚色した「にんじん(POIL DE CAROTTE)」(1925)を監督している。デュヴィヴィエの出世作と言われ、後に1932年にトーキーでデュヴィヴィエ自ら再映画化している。

 アンリ・フェスクールは、ゴーモン社でルイ・フイヤードに見出されて監督となった人物であり、この年はヴィクトル・ユーゴー原作の「噫無情」(1925)をうまく映画化したと言われる。

 ちなみに、フェスクールを見出し、「ファントマ」(1913)などの連続活劇の名手といわれたルイ・フイヤードは、1925年2月に急逝腹膜炎のために亡くなっている。