日活 村田実と森岩雄の結晶「街の手品師」 1925年


 日活で活躍を続けていた村田実は、映画批評を執筆しながら脚本も書いていた森岩雄原作・脚本の「街の手品師」(1925)を監督している。脚本の森は、当時最も欧米の映画に詳しい人物と言えた。

 ある手品師が、中華料理屋の女給の娘に恋をするが、娘には恋人が。娘の恋人が別人と結婚することを知り、激怒した手品師は娘の恋人に詰め寄るがピストルで撃たれる。撃たれた手品師は、女給の娘を悲しませないように手品を死ながら死んでいくという内容の作品である。西洋のメロドラマ的な内容で、弱い女性を純情な青年が救おうとするのは1910,20年代のアメリカ映画のもので、騎士道物語の流れを汲むものだった。

 新劇界から日活に入社し、期待されていた岡田嘉子の専属第一作作品であり、岡田は美貌に加え、西洋的な個性と自我を感じさせる演技を見せた。以後、岡田は日活現代劇を彩っていく。

 そんな「街の手品師」を、佐藤忠雄は「講座日本映画」の中で、「当時の日本映画界における西洋派の精鋭結集した作品」「西洋の一流の映画とおなじような感触を持った日本映画はこれが最初」と書いている。

 村田と森は、この作品を海外に売ろうとしてヨーロッパへ旅に出たが、売れなかったという。日本の現代劇は、欧米から見ると西洋模倣に見え、過小評価された。逆に時代劇は、過度にユニークに見え過大評価される傾向があった。その後2人は、1926年にはハリウッドへと渡り、アーヴィング・サルバーグや上山草人と会ったという。また、アメリカへ修行にやってきていた牛原虚彦と会った。牛原は、森らが持っていった作品の一部を映写してハリウッドの映画人の意見を聞いた。だが、ハリウッドの映画人たちからは、ステレオタイプな日本を見たいという意見が出て、牛原は落胆したという。

無声映画の完成 〜講座日本映画 (2)

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