映画評「ウィンダミア夫人の扇」

ウィンダミア夫人の扇《IVC BEST SELECTION》 [DVD]

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ  [原題]LADY WINDERMERE'S FAN [製作・配給]ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ

[監督]エルンスト・ルビッチ  [原作]オスカー・ワイルド  [脚本]ジュリアン・ジョセフソン  [撮影]チャールズ・ヴァン・エンジャー

[出演]ロナルド・コールマンメイ・マカヴォイ、バート・ライテル、アイリーン・リッチ、エドワード・マーティンデル

 ウィンダミア卿は、死んだと言われていたウィンダミア夫人の母親であるアーリン夫人に、自分が生きていることを知られたくなければ金を払うように要求され、応じる。だが、夫がアーリン夫人に多額の金を払っていることを知ったウィンダミア夫人は、浮気を疑う。

 オスカー・ワイルドによる有名な舞台劇を、エルンスト・ルビッチが映画化した作品。舞台劇ではセリフが重要な役割を果たしていたが、ルビッチはセリフをあまり使えないサイレント映画に見事に置き換えている。また、ロナルド・コールマンが色男役で出演している。

 ルビッチ・タッチとは何か?「ウィンダミア夫人の扇」には、その答えが詰まっている。例えば、競馬場でアーリン夫人のことが話題になり、ウィンダミア夫妻を始めとした人々の頭の中がアーリン夫人のことでいっぱいになっていることは、決して字幕でもセリフでも表現されない。それは、レースが始まって周りの観衆が立ち上がって声を上げているのに、ウィンダミア夫妻らは競馬新聞に目を落としたままじっと動かずに考え込んでいる姿で表現されている。

 字幕が使われていないわけではない。だが、決して無駄には使われていない。例えばアーリン夫人が社交界に受け入れられることは、アーリン夫人が社交界のボスとも言える女性に対して、「ロンドンのベスト・ドレッサーにお会いできるなんて!」と声をかける字幕の後に、ボスの女性がにっこりと微笑んで椅子を勧めて、おしゃべりを始めることで表現される。

 字幕と言えば、冒頭の字幕が印象的だ。「ウィンダミア夫人はパーティの席順で悩んでいた」という字幕で始まるこの映画は、決して天下国家を揺るがすような一大事の物語ではなく、金持ち同士による他愛のない物語であることを示している。オスカー・ワイルドの原作は、社交界を批判めかしたコメディだが、その批判精神がこの映画にも含まれていることが、冒頭のたった1つの字幕で痛烈に伝わってくる。

 ルビッチのこうした手法は、「ウィンダミア夫人の扇」の中に見事に息づいている。だが、一方でルビッチの手法は、この後映画文法の基本の一つとして様々な形に応用されていく。そのために、今見てもそのテクニックだけで驚嘆を覚えることは難しいのではないかと思われる。

 そんな中、ルビッチの演出以外で私の記憶に残ったのは、アーリン夫人を演じるアイリーン・リッチの演技だ。この作品で、リッチは一躍有名になったといわれるが、それも納得できる。中年女性の色気や意地、欲望を感じさせる一方で、娘であるウィンダミア夫人に対しては娘を大事にしたいという母親の気持ちとともに、ライバルのような気持ちも抱いている。時間稼ぎでもあり、嫌われないためのテクニックでもある、どんなときにでも見せる少し困ったような表情は中年女性の経験がなせる技だ。この映画の中で、最も複雑で難しい役柄をリッチは見事に演じてみせる。

 当時ルビッチによって演出されたこの映画は、独自の手法で描かれた作品と評されたことだろう。その後、ルビッチ・タッチは、私たちを楽しませてくれる手法の基礎となった。おそらく、ルビッチ・タッチとは何かを見失ったとき、この映画を見ると思い出させてくれる。「ウィンダミア夫人の扇」はそんな映画だ。古典とは、楽しめる作品ではなく、基本に帰りたいときに見るべき作品のことだとしたら、「ウィンダミア夫人の扇」は古典に値する。

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