映画評「地上」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ  [原題]GRASS: A NATION'S BATTLE FOR LIFE  [製作]フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー・コーポレーション、パラマウント・ピクチャーズ  [配給]パラマウント・ピクチャーズ

[監督・製作・撮影]メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック  [撮影]マーガレット・ハリソン  [編集]リチャード・カーヴァー、テリー・ラムセイ

[出演]メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック、マーガレット・ハリソン

[受賞]1997年度アメリカ国立フィルム登録簿登録

 ペルシャ(現在のイラン)の遊牧民バフティヤーリ族の、5万人の人間と50万頭の家畜による、4500メートルを超える山越えの過酷な様子を撮影したドキュメンタリー。

 後に「キング・コング」(1933)を製作・監督するクーパーとシュードサックのコンビによる作品。「極北のナヌーク(極北の怪異)」(1922)のヒットを見た2人が、秘境ものを映画にしてみようと思い立ち、撮影されたという。映画の中では一世一代の試みのように描かれているが、実際は定期的に行われているものだったという。

 冒頭は、3人(クーパー、シュードサック、メリアン)が砂漠を縦断する様子や、過程で出会う人々が静かに描かれるが、「地上」のメインは何と言っても山越えだ。大勢の人間や家畜が列をなす姿だけでも、圧巻である。極端に多いものとか、大きいものは、ただそれだけで感動を呼ぶのだ。

 西部劇でもお馴染みの大河の横断も、「地上」ならではの映像で驚かせてくれる。彼らがどうやって渡るかというと、ヤギの皮を乾燥させたものが準備されており、風船状に膨らませて、筏の浮き袋にしてその上に乗ったり、胸に抱えて泳いだりして渡るのだ。膨らませたヤギの皮は、生前の姿を微妙に残しており、残酷なようにも見えるが、どこかキュートにも見える。他にも、大量の犬が必死に犬かきで泳ぐ姿には、前述した「極端に多いもの」の驚きがある。

 渡河のシーンだけでも「地上」を見る価値があるのだが、この後も雪道を裸足で行進する人々の姿など、牧草を求めての移動の映像が満載だ。一世一代のように描いているのはドラマ性を高めようとしたためかもしれないが、私は逆にこんなことを定期的に行なっていたことの驚きの方が大きかった。

 「ドキュメンタリー」というと、そこに思想があるものと認識されるかもしれない。だが、「地上」にあるのは、バフティヤーリ族の山越えに対する驚きと好奇の視線である。クーパーとシュードサックの2人は元々学者でも、映画人でもない。そのために、非常にフラットな視線で、山越えの様子を撮影しているように感じられる。完成した作品を見ると、何よりもまず「珍しいもの」「驚くべきもの」に焦点が当たっている。

 劇映画である「キング・コング」と「地上」が同じ製作者・監督である点に驚く人もいるかもしれない。だが、「地上」は現実の「珍しいもの」「驚くべきもの」を撮影したものであるのに対し、「キング・コング」は架空の「珍しいもの」「驚くべきもの」を撮影したものとだ。「現実」と「架空」という違いはあるものの、どちらも基本的な意図は変わらない。

 「キング・コング」と「地上」の2作品は、映画と人々の関係における興味深い一側面を照らし出してくれる。前者はバリバリの商業主義作品であるのに対し、後者は知識を増やしてくれるドキュメンタリーという面を持っている。だが、そのどちらも根源にあるのは「珍しいもの」「驚くべきもの」への憧憬、言い換えれば好奇心だ。

 映画は娯楽か芸術かといったことを超えて、「珍しいもの」「驚くべきもの」への興味は人間としての枠が広がる根源なのではないだろうか。そして、かつても今もこれからも、その役割を果たすことができる存在の1つが映画なのだ。

 クーパーとシュードサックの2人は、そのことを知ってか知らずか、「地上」と「キング・コング」を製作して共にヒットを飛ばした。そして今もなお、私の好奇心を揺さぶってくれる。そして、何本映画をみても、いくつ年齢を重ねても、好奇心を揺さぶるものには満足感を与えられることを教えてくれる。人間なんて好奇心の塊だということを、そしてだからこそ人間なのだということを。