映画評「鵞鳥飼ふ女」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ [原題]THE GOOSE WOMAN [製作・配給]ユニヴァーサル・ピクチャーズ

[監督]クラレンス・ブラウン  [原作]レックス・ビーチ  [脚本]メルヴィン・W・ブラウン  [撮影]ミルトン・ムーア  [編集]レイ・カーティス  [美術]ウィリアム・R・シュミット、エルマー・シーレイ

[出演]ルイーズ・ドレッサー、ジャック・ピックフォード、コンスタンス・ベネット、ジョージ・クーパー

 鵞鳥を飼って生活をする飲んだくれのメアリーは、かつては花形オペラ歌手のマリーとして一斉を風靡した女性だった。だが、出産によってかつての声は失われ、成長した息子ジェラルドのことを恨みながら生きていた。ある日、メアリーの家の近くで殺人事件が起こる。警察に知っていることを聞かれたマリーは、新聞の一面を飾るチャンスと思い、犯行現場を見たと嘘をつく。その嘘によってマリーは世間の注目を集めるが、息子のジェラルドに殺人の嫌疑が及ぶのだった。

 「GOOSE」には、「鵞鳥」の他に「間の抜けた、愚かな」といった意味もあり、タイトルはダブル・ミーニングになっていると思われる。タイトル通り、過去の栄光を捨てられずに、そのため息子にも愛を注げず、酒に溺れて身なりも汚いメアリーの姿は、愚かだ。だが、一方で人間臭くもある。虚栄心や過去への執着は誰にでもあるものだ。

 主人公の愚かだが人間味溢れるメアリーのキャラクターが、「鵞鳥飼ふ女」を並のメロドラマとは違う魅力となっている。恐らく息子が殺人犯の嫌疑を受けなければ、自分が再び有名になるために嘘をつき続けるのではないだろうかという、えげつなさや愚かさが感じられるのだ。その第一の功績は、メアリーを演じるルイーズ・ドレッサーだろう。常に眠たそうな顔つきで、息子にすら悪態をつく姿は、同時期の映画で描かれるどんな女性像とも異なる。

 ドレッサーの演技とともに、セットの素晴らしさもメアリーの性格を形作っている。手入れの全くされていない部屋の汚さ。年代からくるのかもしれないが、それ以上にものぐさなために汚くなっているような印象を与える。一瞬だけ映し出される、窓の外に積み上がる大量の酒瓶の生々しさも忘れがたい。

 映画の中で行われる殺人は、メアリーのキャラクターを浮き彫りにする脇役として見事に機能している。殺人事件ですら脇役として扱う潔さは見事だ。演技といい、セットといい、ストーリーの展開といい、すべてはメアリーという女性を浮き彫りにすることに奉仕している。ストーリーはメロドラマである。だが、決して悪い意味でのメロドラマでは終わっていない。