映画評「三人」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ [原題] THE UNHOLY THREE [製作・配給]メトロ=ゴールドウィン=メイヤー(MGM)

[監督・製作]トッド・ブラウニング [製作]アーヴィング・サルバーグ [原作]トッド・ロビンス [脚本]ウォルデマー・ヤング [撮影]デヴィッド・ケッソン [編集]ダニエル・J・グレイ [美術]セドリック・ギボンズ、ジョセフ・C・ライト

[出演]ロン・チェイニー、メエ・ブッシュ、マット・ムーア、ヴィクター・マクラグレン、ハリー・アールズ

 カーニバル芸人として働く腹話術師のエコーは、恋する女でスリのロージーにそそのかさえれて、怪力のヘラクレス、小人のトウィードルディーの3人と「THE UNHOLY THREE(邪悪な3人組)」を結成し、犯罪を企てる。エコーが老婆に、トウィードルディーが赤ちゃんに変装し、ペット・ショップ店に住み込んでチャンスを狙う3人。だが、ペット・ショップ店の店主ヘクターとロージーが仲良くなり、エコーは嫉妬する。

 父の死をきっかけにアルコール中毒になっていたがMGMに監督復帰していたブラウニングと、以前からのパートナーであるチェイニーのタッグによる作品。伝説となる「フリークス」(1932)にも出演することになるハリー・アームズが、赤ちゃんにもなれば残酷な存在にもなる小人トウィードルディーを演じている。トウィードルディーが少女を殺害するシーンが当初あったが、「残酷過ぎる」という理由で、公開に当たってはカットされたらしい。天使のような赤ん坊から、悪魔の殺人者までの振り幅は見てみたかった。

 カーニバル芸人、フリークスたちなどブラウニングらしい要素が散りばめられ、盟友とも言えるチェイニーが主演し、大ヒットした作品で、ブラウニングの代表作と言ってもいいだろう。映画史的には「魔人ドラキュラ」(1931)の方が重要かもしれないが、ブラウニング史的には「三人」の方が重要だ。

 物語の整合性は取れていない。腹話術を使って人を騙すエコーだが、声を出す場所まではコントロールできないはずなのに、別の場所でしゃべっている様に人を信じこませる。3人で悪巧みをするために、店主ヘクターの目に触れるリスクを負ってまで、ペット・ショップに住み込まなければならない理由が分からない。だが、そんなことを押しのけるような要素が「三人」にはある。

 カーニバル芸人として生きる3人の鬱屈。見世物として生きる彼らの鬱屈は、観客たちの好奇の目を通して描かれる。それに我慢できなくなったトウィードルディーは、子どもの顔面を蹴ってしまうほどだ。そんな中、腹話術師のエコーは、ロージーへ恋心を抱いている。中年のエコーの若いロージーへの愛は、時に醜い嫉妬になり、時に純粋な愛情になる。

 エコーのロージーへの愛情は、チェイニーによって見事に表現されている。決してハンサムではないチェイニー演じるエコーの、顔に刻まれた深いシワ。だが、嫉妬するときも、純粋な愛情に満ちている時も、エコーはロージーへの思いに溢れている。チェイニーは「ハートの一」(1921)でも見せた中年男の純粋な恋心を、「ハートの一」の雨のようなシチュエーションの助けを借りることなく、表情と動きで見せてくれる。

 ラストのエコーとロージーの別れのシーン。腹話術の人形の声を借りて放たれる一言に溢れるエコーの思いは切なく、カッコいい。

 カーニバル芸人という見世物的な要素を前面に押し出し、彼らの魅力が発揮できるような強引なストーリーを展開しながら、基礎は中年腹話術師エコーの恋愛感情でしっかり固められている。したたかで、面白く、切ない映画だ。

 「千の顔を持つ男」の異名を持つロン・チェイニーだが、素顔は1つだ。そして、私が素晴らしいと思ったチェイニーはどれも素顔で演じているチェイニーだ。千のうちの一つの顔である素顔のチェイニーの素晴らしさを、もっともっと色んな人に知ってほしい。