映画評「THE SWAN」

[製作国]アメリカ  [製作]フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー  [配給]パラマウント・ピクチャーズ

[監督・脚本]ディミトリー・ブコエツキー  [原作]モルナール・フェレンツ  [撮影]アルヴィン・ウィコッフ

[出演]フランシス・ハワード、アドルフ・マンジュー、リカルド・コルテス、アイダ・ウォーターマン

 ヨーロッパのとある国。フェンシングの教師ウォルターを愛するアレクサンドラは、母親の意向で、怠惰で女好きなアルバート殿下と結婚させられそうになっている。「私は白鳥と同じ。湖の中でぐるぐると回ることしかできない」と自分の身の上を嘆くアレクサンドラ。愛し合うウォルターとアレクサンドラだが、結婚は決まり、2人は別れることを決める。

 ハワード演じるアレクサンドラとコルテス演じるウォルターの階級を超えた恋愛を、丁寧に描いた作品。だが、2人の静かに燃える恋愛は、アルバートを演じるマンジューによる一癖も二癖もあるように見える演技によってバランスが崩されているように見える。ハワードは目をみはるような美女ではなく、コルテスもハンサムという以上のインパクトはない。対してマンジューの見た目は、胡散臭さがプンプンしていて目が離せないのだ。

 演出も丁寧だが、言葉を変えると地味で、ラブ・ロマンスを盛り上げるには至っていない。アレクサンドラとウォルターの別れと、大勢の人たちの前でアレクサンドラが「私はウォルターを愛しています!」と言うシーンがハイライトと言えるが、あまりにもさらっと描かれている。

 この作品を見ると、サイレント映画においては、トーキー映画とは比較にならないくらい、見た目が重要であることが痛感させられる。マンジューの見た目の存在感に、他が霞んで見えてしまうのだ。