映画評「雪崩」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]フランス、スイス  [原題]VISAGES D'ENFANTS  [英語題]FACES OF CHILDREN

[製作]LES GRANDS FILMS  [配給]パテ

[監督・脚本・編集・美術]ジャック・フェデー  [製作]ディミトリ・ズーバロフ、アルトゥール・ポーチェ  [脚本]フランソワーズ・ロゼー  [撮影]ルイ・アンリ・ビュレル、ポウル・パルグェル

[出演]ジャン・フォレスト、ヴィクトル・ヴィナ、ピエレット・ウーィエズ・ラシェル・ドヴィリス、アルレット・ペーラン

 スイスの山にある村。母親を失ったジャンは、実の母親への愛情から、父親の再婚相手の継母や連れ子の少女ピエレットとうまくいかない。アルレットに意地悪ばかりするジャンは、人形をなくして悲しむアルレットに嘘をついて真夜中に探させに行くが、アルレットが雪崩に巻き込まれ行方不明になる。

 自然なリアリズムが魅力の作品だ。美しく切り取られたスイスの四季、サイレントにありがちな大げささを排した抑えられた演技は「雪崩」を美しい映画にしている。

 「雪崩」で切り取られたスイスの村は美しい。山から見た村落のショットといい、雪解け水によって水かさが増して流れも早くなった川といい、美しいという言葉がぴったりと来る。私が見たバージョンに施されていた染色も美しさを増していた。

 母親への愛情から、継母やアルレットに良い感情を抱けないジャンの複雑な感情は、静かだが確実に描かれている。ジャンを決して可哀そうな子どもとしては描いておらず、アルレットへのいたずらを見せられるとジャンが憎らしく思えてくる。だが、そうした面も含めて、母親を失った哀しみを胸に秘めたジャンという少年が描かれているのだ。演じるフォレストの感情を抑えた演技も、ジャンの描写を引き立てている。

 ジャンやアルレットを演じた子どもたちは、演技の面での経験は少ない。アルレットを演じたペーランは、「雪崩」にしか出演していない。いわゆる素人を起用したことも大きく影響しているのかもしれない。

 リアリズムと書くと演出面では平凡と思われるかもしれない。だが、決してそうではない。冒頭の母親の葬式のシーンから、父親が再婚するまでの重くのしかかった雰囲気は、演出の賜物だ。特に母が埋葬される段になり、めまいのような感覚に襲われるジャンの様子を早いカットで見せるシークエンスは編集の腕を感じさせる。毎週ジャンと父親の2人で母親の墓に花を捧げに行っていたのだが、父親が「用事がある」といって行かなくなり、分岐路を別々に歩いていくジャンと父親の姿を後ろから撮るシーンは、ジャンの心に広がる寂しさを感じさせる。

 ジャンのいたずらに見られるように、人物に対する視線は優しくも厳しい。継母は優しいのだが、ジャンの母親への気持ちを汲み取り切れない。父親はジャンを気にかけつつも、自らジャンとコミュニケーションを取る勇気がない。みな基本的にいい人なのだが、何かが足りない。そんな人たちのピースは、どこかうまく嵌まらず、悲劇へとつながる。悲劇が先にあって、人物がいるのではない。人物が先にあって、悲劇が訪れる。そのように感じられた。

 「雪崩」には、劇映画におけるリアリズムとは何かの答えの1つがある。完全無欠のヒーローも、誰もが共感するような可哀そうな人物もいない。だが、誰もが共感できる部分と、共感できない部分を持つ登場人物たちが織りなす物語とそれを体現する役者が、「雪崩」にリアリズムを与えている。サイレント映画を語る上で、欠くことができない傑作といってもいいだろう。