映画評「チェス狂」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]ソ連  [原題]SHAKHMATNAYA GORYACHKA  [英語題]CHESS FEVER  [時間]28分

[監督・編集]フセヴォロド・プドフキン  [監督・脚本]ニコライ・シピコフスキー  [撮影]アナトーリー・ゴロヴニャ

[出演]ウラジーミル・フォーゲリ、アンナ・ゼムツォワ、セルゲイ・コマロフ、ホセ・ラウル・カパブランカ

 チェスの熱狂に包まれたソ連。チェスに夢中の青年は、恋人との結婚届の提出も忘れてしまう。悲しんだ恋人は自殺を決意するが、毒薬と間違えてチェスの駒を渡される。一方で青年は、チェスよりも恋人のことを大事にすることを決意するが・・・。

 初期ソ連映画の巨人の1人であるプドフキンによるシュールなコメディである。当時実際にソ連ではチェスが流行し、チェスの世界大会のシーンは実際のもので、当時の有名なチェス・プレイヤーが多く撮影されているという。

 プドフキンやセルゲイ・エイゼンシュテインといった初期ソ連映画の巨人たちは、アメリカ映画、中でもスラップスティック・コメディに映画の本質を感じていたといわれる。「チェス狂」にもスラップスティック・コメディの影響を受けたと思われるギャグがたくさんある。ポケットや靴下など、ありとあらゆるところから子ネコが出てくるギャグ。床、ハンカチ、マフラーなど、ありとあらゆるところがチェス盤のようなチェック柄になっているギャグ。歩きながらチェスのニュースを見るために、前を歩く男の背中にポスターを貼り付けるギャグなどだ。

 スラップスティックなギャグが多くあるものの、「チェス狂」の最大の魅力はシュールさにある。まるで、テレビドラマ「世にも奇妙な物語」のエピソードの1つのように、ありとあらゆる人がチェスに夢中になるという設定はシュールだ。父に助けを求めに行くとチェスの本を見つけたり、チェス盤と駒を使ったケーキが登場するあたりは、シュールを超えてホラーだ。

 青年と恋人のどちらが主人公か曖昧な設定を、完全に恋人を主人公にすると、シュール・ホラーの傑作となっていたのではないかと思う。スラップスティックを求めながら、シュールな設定を推し進めすぎてホラーにまで達してしまっているところに、アメリカとソ連の差を感じたりもする。

 チェスのチャンピオンと出会った恋人が、チェスの魅力を知るというラストも、ハッピーエンドに見えながらも、どこか空恐ろしいものを感じさせる。2人はチェス盤を見つめるかもしれないが、互いのことを見つめることがあるのだろうか。「愛とは見つめ合うことではなく、同じ方向を見ることである」というサン=テグジュペリの名言を考えると、やはりハッピーエンドなのだろうか。

 「チェス狂」は、ソ連映画とか、プドフキンとかいったことを頭から除いても、シュールさがホラーにまで昇華した、世にも奇妙な映画である。こういった作品を見られるから、過去の映画を見るのがやめられない。