映画評「戦艦ポチョムキン」

※ネタバレが含まれている場合があります

戦艦ポチョムキン Blu-ray  エイゼンシュテイン監督のデビュー作『グリモフの日記』、トーキー作『センチメンタル・ロマンス』収録

[製作国]ソ連  [原題]BRONENOSETS POTYOMKIN  [英語題]BATTLESHIP POTEMKIN  [時間]66分

[監督]セルゲイ・M・エイゼンシュテイン  [脚本]ニーナ=アガジャーノ・シュトコ  [撮影]エドゥアルド・ティッセ

[出演]アレクサンドル・アントノーフ、ウラジミール・バルスキー 、グリゴリー・アレクサンドロフ

 戦艦ポチョムキン号の船員が苛酷な待遇に耐えられずに反乱を起こす。ポチョムキンの号の船員はオデッサに寄航し、市民たちに歓迎される。だが、そんな市民たちには軍隊による虐殺という運命が待っている。

 「戦艦ポチョムキン」の名は映画界に燦然と輝く金字塔である。昔の映画を見てみたいと思う人にとっては避けては通れない名前である。崩壊してしまったソ連だが、当時は人民たちの革命により誕生した、人民が組織する国という世界に類のない国だった。その思想の根底にあった共産主義という理論は、世界中を席巻していた。そんな国が生み出した「革命」の映画である。

 日本では1959年まで公開されなかった(一般公開は1967年)。「革命」を扱った映画の公開は、1925年(大正14年)当時の日本では禁止されていた。第二次大戦後、アメリカの占領下におかれた日本では、アメリカと対立していくソ連を代表する映画の1つである「戦艦ポチョムキン」は公開されなかった。この見ることができない状態が、日本においての「戦艦ポチョムキン」を伝説の映画という地位まで高めることに貢献したことだろう。写真入りの詳細なシナリオが出版されたりもしていたが、そんな中途半端な情報提供もまた、「戦艦ポチョムキン」への渇望を強くしたことだろう。

 個人的な感想を書くと、伝説的な映画「戦艦ポチョムキン」を初めてビデオで見たのは今から10年ほど前になる。「これから伝説的な映画を見る」という気持ちが高まり、ドキドキしながら見始めた。そして、感想は「あまり面白くない」というものだった。

 反乱を描いた映画は、「戦艦ポチョムキン」以後、多数製作されている。モンタージュ理論を基にした編集は、現在でも広く使われているように思われた。オデッサの階段の虐殺という、あまりにも有名なシーンは、明確な引用である「アンタッチャブル」(1987)の方が、興奮を覚えた。ライオンの像が立ち上がるようにつながれた編集は、「これが!」という思いを抱かせたものの、それ以上のものはなかった。

 今回私が「戦艦ポチョムキン」を見た後、WEB上で様々な感想を読むと、「1回目見たときは、つまらないと感じたが、2回目見ると素晴らしかった」という感想に少なからず遭遇した。さらに、その間に「多くの映画を見た後に」と書いている人もいた。私の感想もまったく同じだ。今回見て、素晴らしさに気づいた。

 「戦艦ポチョムキン」は、「地位が高くなりすぎた映画」と言えるだろう。それは、決してその地位に見合った映画ではないのにも関わらずということではない。「映画を見る私たちにとって」ということになる。特にオデッサの階段のシーンは部分を抽出してみても、あまり意味がない。おそらく、オデッサの階段のシーンはラストのシーンだと思っている人は少なからずいるだろう。実際にはオデッサのシーンは映画中盤に訪れる。オデッサのシーンは、「戦艦ポチョムキン」を構成しうる一要素に過ぎない。

 素晴らしい映画である「戦艦ポチョムキン」は、ある意味不幸な映画だといえるかもしれない。元々が、ロシア革命を賛美する目的で作られた作品である「戦艦ポチョムキン」だが、そのロシア革命の根底にある共産主義に賛同する人は、どんどん少なくなっている(というよりも、その考え方自体を知らない人がどんどん増えている)。映画の作り方を特徴づけているエイゼンシュテインモンタージュ論は、今では最新の理論でも万能の理論でもなく、映画における様々な撮り方の1つとして考えられているに過ぎない。

 多くの人が「戦艦ポチョムキン」を初めて見るとき、そこまで考えないだろう。少なくとも私にとっては、伝説的な映画である「戦艦ポチョムキン」を見るということは、自分の人生を変えるかもしれない一大事であり、映画の見方を変えてくれるかもしれないビッグ・イベントなのだ。

 それを愚かだということは簡単だし、実際愚かなことだろう。そして、他にも存在する多くの伝説的な映画を見て、今の映画も見て気づく。万人が認める映画などこの世にないと。それを知ってから「戦艦ポチョムキン」を見て、ようやく「戦艦ポチョムキン」とはどういう映画かということが見えてきたように思える。

 当時のロシアの圧制に苦しむ人々を、腐ってウジの沸いた肉を食べさせられるほどの苦しい境遇にさらされた船員に置き換え、船員の反乱を描いた作品である「戦艦ポチョムキン」は、1905年に起こった第一次ロシア革命での実際の出来事を基にしている。ソビエト政府は、革命20周年を記念した映画の製作を目論み、最終的に「戦艦ポチョムキン」が誕生した。

 映画はもちろん、第一次ロシア革命を賛美することで、その流れで成立したソビエト政府や、ソビエト政府の理論的基盤である共産主義を褒め称えるという構図になっているように見える。しかし、今回見るとその意味合いは少し異なって感じられた。

 エイゼンシュテインが「戦艦ポチョムキン」で描いたのは、圧制と反乱そのものである。ソビエト政府や共産主義を賛美する面はさほど感じさせない。「戦艦ポチョムキン」の内容において最も素晴らしい面を挙げるとしたら、この部分だろう。

 エイゼンシュテインは、「ストライキ」(1925)でも同様に、搾取される人びとが起こす反乱を首尾一貫として描いている。エイゼンシュテインの興味が、どんな政府か、どんな理論かということが重要なのではなく、圧制にさらされ搾取される人びとそのものを描くことにあったのであろうということが伝わってくる。

 「戦艦ポチョムキン」に限らず、エイゼンシュテインの映画を語るときには、モンタージュ理論を始めとする技術の面に目が注がれがちだ。それは、多くの「戦艦ポチョムキン」への言説が、技術の面に集中しているためというのもあるだろう。だが、その裏にあるエイゼンシュテインの視線は忘れてはならないと思う。

 一方で、「戦艦ポチョムキン」における技術の面は、たいしたことがないと言いたいわけではない。ショットを細かく分けた手法は、同時代の作品においては稀有なものである。エイゼンシュテインによるモンタージュ理論の基礎は、「ショットとショットをつなぎあわせることで、別の意味を作り上げる」というものだ。その代表例が、ライオンの像が立ち上がるショットと、ポチョムキン号がオデッサの軍の参謀本部を砲撃するショットをつなぎあわせることで、船員たちの革命の炎が立ち上がることを表現している(だからこそ、このシーンは語り継がれている)。

 ショットを細かく分ける手法は、上記のモンタージュ理論の展開のために必要であっただけではなく、多くに役割を果たしている。例えば、「戦艦ポチョムキン」には特定の主人公はいない。主人公は抑圧された人びとである。それを可能にしているのは、ショットを細かく分けた手法である。1つのショットは漫然と撮影されるわけではなく、常にその中心を持っている。それによって、例えばオデッサ軍の銃撃から逃げる途中に転んだ子供が中心となったショットを見るとき、映画の主人公はその子供となる。そうした各々のショットの主人公が総体となって、「抑圧された人びと」という主人公が構成されている。

 ソ連で公開された当時、「戦艦ポチョムキン」は多くの批判を受けていたことは、今では忘れられている。特に、イデオロギー的に異なる他国からではなく、ソ連内部から批判を受けていたことは。クレショフ効果で知られる、モンタージュ理論の成立の貢献した1人であるレフ・クレショフも「戦艦ポチョムキン」を批判した。

 批判の内容の多くは、「戦艦ポチョムキン」が「人物を描いていない」というものだった。今でも批判の決まり文句の1つとして使われる「人物を描いていない」という批判は、「戦艦ポチョムキン」については当てはまらないように感じられる。それは、映画の目的が特定の人物を描くことにはないからだ。同じモンタージュ理論の発展者と知られるエイゼンシュテインとクレショフのこの意見の相違は、モンタージュ理論があくまでも理論であり、実践においては大きな幅があることを、教えてくれる。

 ショットを細かく分けることは、映画がアクションを作り上げることが可能であることを教えてくれる。同時代の映画のアクションは、特定の役者が演じるアクションをカメラが捉えることで成立していた。その代表例はダグラス・フェアバンクスであり、バスター・キートンである。「戦艦ポチョムキン」のアクションはそうではない。細かく分けられたショットが構成されることで、アクションが作り上げられている。戦艦内での乗組員の反乱、オデッサの階段を銃撃から逃げる人々といったアクションに満ちたシーンから醸し出す興奮は、個々の役者の動きにあるのではなく、動きを分割したショットの積み重ねによって成立している。この手法は、この後のアクション映画の定石となる。

 ショットの積み重ねは、「戦艦ポチョムキン」の技術面を支える根底である。だが、それだけではない。1つのショットが計算されて撮影されていることも忘れてはならないだろう。「戦艦ポチョムキン」には脳裏に刻み込まれるようなショットが多数ある。うじ虫の湧いた肉、皿を洗っているうちに怒りを覚えて叩き割る船員の表情、帆を被せられて銃殺されそうになる船員たち、仰ぎ見るように撮られたポチョムキン号、死んだ船員を追悼するためにやってくるオデッサ市民の長い行列、目から血を流す老婆、ポチョムキン号に向けられた他の戦艦の砲塔、掲げられた赤旗・・・・こういった多数の印象的なショットが計算された構図で撮られ、その積み重ねによって、「戦艦ポチョムキン」は成り立っている。

 計算された1つ1つのショットは、オデッサの階段のシーンでの移動撮影、息吹が感じられる群衆の雰囲気(CGでは決して作り上げられないだろう)、モノクロの画面に鮮やかに浮かび上がるように赤旗に施された着色といった様々なその他の技術や演出によって支えられていることも忘れてはならないだろう。

 「戦艦ポチョムキン」は、徹底的に抑圧された人びとを描くという姿勢といい、モンタージュ理論の実践の手法といい、ソビエト映画ではなく、エイゼンシュテイン映画として映画界に燦然と輝くに値する作品である。現在の高すぎる地位は、予備知識なしで「戦艦ポチョムキン」を見る人びとに失望を与え続けるかもしれない。しかし、映画に絶対的な素晴らしさなどないことを知っている人、映画を一周した人が「戦艦ポチョムキン」を見たとき、その素晴らしさにきっと気づくことだろう。好きか、嫌いかは別にしても。

 サイレント期の多くの作品がそうであるように、「戦艦ポチョムキン」にもいくつかのバージョンがある。さらに、元々がサイレントであるがゆえに、音楽によっても印象が大きく異なる。私が今回見たのは、2005年のベルリン国際映画祭で上映された復元版で、現在のところ最もオリジナルに近いと言われるものである。

 音楽は、ドイツ公開の際にエトムント・マイゼルが作曲したオリジナル音楽である。既存の音楽の使用ではなく、映画のためにつけられた音楽であることが、映画の効果をより高めている。ポチョムキン号が他の戦艦の砲撃を受ける否かという映画後半のシークエンスにおいて、同じ旋律繰り返すことでサスペンスを高めるという手法が取られ、それが効果を上げているように感じられることからも、それが分かる。