「モアナ」 ドキュメンタリーの誕生

 「モアナ」(1926)は、辺境の地で厳しい自然と向き合う人々を情感溢れる映像で捉えることを好んだロバート・フラハティが監督した作品である。ジェシー・L・ラスキーがフラハティに監督を依頼し、撮影はサモア島で行われた。フラハティは撮影に膨大な時間と金を要求し、パラマウントが出資した。撮影には10ヶ月もの月日がかかった。さらに、パラマウントは大ダコや人食いザメといったスペクタクルを期待したが、フラハティはこうした要素を盛り込まなかった。そこでパラマウントは、セックス・アピールを前面に出すために、完成品の巻頭に半裸踊りを加え、「南海の美女の愛の生活」と宣伝して公開した。マオリ族の生活を描いた点を批評家は評価したが、興行的に大成功とはいえなかった。

 ちなみに、ドキュメンタリーという言葉が使われるようになったのは、イギリスの記録映画作家ジョン・グリアソン(グリアソンは1924年渡米。世論へのメディアの影響について研究していた)が、ロバート・フラハティの「モアナ」(1926)の試写を見たときに、「これこそ真の記録映画(ドキュメンタリー)だ」と言ってからという説がある。