その他のアメリカ映画 1926年

 かつて「愚者ありき」(1915)に出演し、ヴァンプ役で人気を得たセダ・バラは、この頃になると舞台に転じ、映画にはほとんど出演していなかったが、1926年にかつて自分が演じた役のパロディ映画に出演している。

 「あれ」(1927)で“イット・ガール”として一躍スターになるクララ・ボウは、男性にちょっと触ることでセクシーさを表現するのが個性的だっと言われるが、この年には「マントラップ」(1926)に出演。ユーモアがあり、お茶目で自然な演技を見せたという。

 1925年に、「救ひを求むる人々」を自主制作し、チャールズ・チャップリンに気に入られたジョセフ・フォン・スタンバーグは、チャップリンの下で「海の女(かもめ)」(1926)を監督したが、撮影終了前に降りてしまった。チャップリンが残りを撮影したが、気に入らずにお蔵入りとなってしまったという。

 ジョン・フォードは西部劇の「三悪人」(1926)を監督している。1870年代のダコタ州土地開放時代を背景にした、恋と男気の物語である。ダコタ州のスー族の土地が白人に解放された。移住を望む者たちの幌馬車を、屈強な3人の男たち狙っており・・・という内容の作品だ。西部劇の監督として知られるフォードだが、以後「駅馬車」(1939)までの13年間は西部劇とは無縁の監督生活を送ることになる。

 フォックスで西部劇ばかり監督していたウィリアム・ウェルマンパラマウントに移籍し、「猫の寝巻」「女心を誰が知る」(1926)といった作品を監督している。パラマウントのソフィスティケートされた小品の方針に沿った佳作で、高く評価されたという。

 ドイツからアメリカへ渡り、洗練されたコメディの分野で活躍を続けたエルンスト・ルビッチは、モント・ブルーとパッツィ・ルース・ミラーが出演した「陽気な巴里っ子」(1926)を監督している。ダンシング・デュオが刺激を求めて別の相手を探し、ある夫婦と罪のないアバンチュールを楽しむという内容の作品である。大舞踏会のシーンでは、カメラは動き回り、流麗な画面を作った。ニューヨーク・タイムズのベスト10にも選ばれている。

 「娘十八運動狂」(1926)は、ベーブ・ダニエルズ主演のスポーツ・コメディである。ダニエルズ主演のスポーツ・コメディはシリーズで作られ、パラマウント名物になっていく。

 「囁きの小径」(1926)は、ジョン・M・スタール監督、エリナー・ボードマン、コンラッドネーゲル出演の作品で、しみじみとした情感を感じさせる作品だったという。

 後に映画界のみならず世界中に話題を振りまくことになるハワード・ヒューズは、父親の築いたヒューズ工作機械社を相続してハリウッドへと進出した。製作第一作の「素晴しいホーガン」(1926)は、大金を費やした上に出来栄えに満足できず、お蔵入りにしてしまった。だが、マーシャル・ニーラン監督の製作第二作「みんなのお芝居」(1926)は、順調な興行成績を挙げたという。

 メアリー・ピックフォードは、代表作とも言われる「雀」(1926)に出演している。グライムス夫婦は、農場に孤児を誘拐して働かせていた。ある日、金持ちの子供をさらってしまい、警察の手がグライムスの身辺に迫り・・・という内容の作品だ。

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