その他のソ連映画 1926年

 他にもソ連では、国立映画学校の校長も努め、ソ連映画の父とも言えるウラジミール・ガルジン監督、レーニンの映画的な考えを成文化したルナチャルスキー脚本の「熊の結婚」(1926)などが作られている。

 前提的な舞台から映画へと進出していたエクセントリック俳優工房(FEKS)の面々も活動を続けていた。グレゴリー・コージンツェフ、レオニード・トラウベルクは、「悪魔の車輪」「外套」(1926)を監督している。「外套」はゴーゴリの原作を映画化したもので、帝政下の小官僚のみじめさが幻想的なイメージで描かれているという。フリードリヒ・エルムレルは、<ネップ>期の貧しい人たちの姿をリアルに描く「魔街」(1926)を監督している。

 通称「クレショフ工房」で様々な映画実験を行ったレフ・クレショフは、「掟によって」(1926)を監督している。ゴールドラッシュ期を舞台に、主として1つの小屋の中で展開する作品で、製作費は安く製作された。外界から孤立した小屋で、人を殺した犯罪者の面倒を見た後、「掟によって」死刑に処するという内容で、成功作といわれている。

 「アエリータ」(1924)が有名なヤーコフ・プロタザーノフは、「三百万ルーブルに関する裁判」(1926)を監督している。3人のいかさま師が登場するコメディで、興行的に成功を収めたという。

 ソ連邦の1つであるアルメニアでは、1923年に「アルメンフィルム」が作られ、映画製作が行われていた。この年は、アルメニア映画の先駆者アモ・ベック=ナザーロフが「ナムス」(1926)を監督している。