ジェルメール・デュラック、ジャン・エプスタンらの活躍とフランス印象主義

 サイレント期に活躍した数少ない女性監督の1人であるジェルメール・デュラックは、ゴーリキー原作「勇敢な人々の愚行」(1926)で、黒海沿岸の猟師たちの生活を描いている。感覚によって演出し、文学的論理から抜け出すというデュラックの理想は実現できず、興行的にも成功しなかったという。

 映画理論家でもあった映画監督のジャン・エプスタンは、商業的な作品を監督することに嫌気が差して、1926年から独立プロデューサーとなっている。

 マルセル・レルビエ、デュラック、エプスタンらはフランス印象主義の監督と言われるが、彼らは資金の壁によって優れた作品をなかなか生み出すことが出来なかったため、彼らの理論の方が重要性を持った。これは、ドイツの表現主義が興行的にも成功し、実践に移されたのとは対照的である。しかし、フランス印象主義の理論は次の世代に受け継がれ、将来に影響を与えていくことになる。ジョルジュ・サドゥールは「世界映画全史」の中で、印象主義の監督たちについて次のように書いている。

 「彼ら(印象主義者たち)は、彼ら以前の大多数の監督たちが自らの映画を縁日市の祭以上の芸術的価値を持たない、大衆の単なる娯楽物と考えていたのに、1925年にムーシナックが書いているように<映画芸術>のために戦ったのである」

無声映画芸術の成熟―第1次大戦後のヨーロッパ映画〈1〉1919‐1929 (世界映画全史)

無声映画芸術の成熟―第1次大戦後のヨーロッパ映画〈1〉1919‐1929 (世界映画全史)