イギリス 壊滅的な映画製作とヒッチコック

 イギリスの映画製作は引き続き低迷を続けていた。イギリス国内で公開される作品の中のイギリス映画の割合は、1923年には18%だったが、1926年には5%未満とさらに落ち込みを見せていた。

 後にサスペンスの巨匠となるアルフレッド・ヒッチコックはまだ無名だったが、ミュンヘンアメリカ女優のニタ・ナルディ主演の「山鷲」(1926)を監督している。男から逃れて山に身を隠した女教師のメロドラマである。この作品はイギリスのプロデューサーのマイケル・バルコンとドイツ・ウーファ社のエーリッヒ・ポマーの協力による最後の作品でもある。

 ヒッチコック以外にも、モーリス・エルヴィ監督が「情熱の海人」(1926)で円熟したテクニックを見せたという。また、エルンストリー撮影所を本拠地としていたハーバート・ウィルコックスは、アメリカからドロシー・ギッシュを招いて「ネルギン」(1926)を製作・監督した。