中国、オランダ、北欧映画 1926年

 中国では1925年には、175社もの映画会社が存在したと言われる。しかし、粗製乱造が進み、製作される映画の質は低下した。その結果、映画会社の淘汰が行われ、1925年には131社あったという上海の映画会社は1926年末には40近くにまで激減したという。

 オランダでは、後にドキュメンタリー作家として活躍するヨリス・イヴェンスが、アムステルダムで創立された映画同盟(フィルムリーガ)に参加している。フィルムリーガを通してイヴェンスは、仏独の前衛映画運動を学んだという。

 落日の北欧映画界では、カール・ドライエルが「グロムダルの花嫁」(1926)をノルウェースウェーデンの資本で監督している。野外劇でフィヨルドの背景が強い印象を与え、かつてのスウェーデン映画のような美しさが見られるという。