衣笠の試みと「狂った一頁」の反響

 衣笠はそれまでの日本映画の語り口の常識を否定して、新しい映画表現を打ちたてようと試みた。フラッシュバックを盛んに行い、ショットの組み立てにリズミカルな興奮を持たせようとした。衣笠の試みは、ドイツの表現派の影響を超えた、世界的な水準において最先端の実験だったと言われる。また、字幕なしで物語を展開した、おそらく日本初の試みであった(試写を見た横光の提案で、字幕を全てカットしたという)。

 上映は東京の洋画封切館で行おうとしたが、難航した。監督の衣笠貞之助、脚本の犬塚稔、カメラの杉山公平の3人は私財を投げ打って、売り込みに奔走したという。上京した3人はラーメン一杯で何日も過ごした後、やっと洋画封切館として超一流だった新宿武蔵野館徳川夢声の解説で公開されることになった。大阪の松竹座でも上映されたという。

 出来上がった作品は、関西映画協会から優秀映画に推薦され、キネマ旬報のベスト・テンで4位となるなど、批評的には賞賛されたが、興行的には失敗し、1万円の負債を背負ってしまった。この負債を支払うために、衣笠は松竹の映画を請け負っていくこととなる。

 衣笠の試みは成功とは言えなかったが、佐藤忠男は「講座日本映画2」の中で次のように書いている。

ドイツ表現主義派映画の光と影の異様なコントラストによる象徴的効果、ソビエトエイゼンシュテインのアトラクションのモンタージュ、ややおくれてフランス・アバンギャルド映画運動の詩的イマジネーションの強調によるストーリー否定。それらの要素はすべて、この『狂った一頁』のなかに躍動しているのである」

無声映画の完成 〜講座日本映画 (2)

無声映画の完成 〜講座日本映画 (2)