新しい文化として日本人に受け入れられた映画

 1920年代は映画が新しい文化として日本人に受け入れられるようになった時代でもある。1922年の当時の東京市及び隣接郡部には、112の映画館があり、年に1740万人の入場者があった。これは、人口一人あたりの平均入場回数5.07回だった。寄席が年平均1.11回だったのと比べると大きく上回っている。

 この傾向は進み、1926年当時の東京市及び隣接郡部には、178の映画館があり、年に2487万人の入場者があった。人口一人あたりの平均入場回数は6回に増えた。対して寄席は年平均0.95回と減っている。