映画評「ラ・ボエーム」
※ネタバレが含まれている場合があります
[製作国]アメリカ [原題]LA BOHEME [配給]メトロ=ゴールドウィン=メイヤー(MGM)
[監督]キング・ヴィダー [製作]アーヴィング・サルバーグ [原作]アンリ・ミュルジェール [脚本]フレッド・ド・グレザック [撮影]ヘンドリック・サートフ [編集]ヒュー・ウィン [美術]セドリック・ギボンズ、A・アーノルド・ギレスピー
[出演]リリアン・ギッシュ、ジョン・ギルバート、ルネ・アドレー、ジョージ・ハッセル、ロイ・ダルシー
舞台はパリ。劇作家を目ざす貧しい青年ロドルフは、同じアパートに住む貧しい針子のミミと知り合い、2人は恋に落ちる。恋が刺激となり、ロドルフの戯曲の筆は進むが、一方でミミは生活を支えるためにロドルフに内緒に徹夜の仕事を続けていた。
「ラ・ボエーム」といえば、プッチーニによるオペラ化作品が有名だが、この作品はオペラの映画化ではなくて、原作の映画化であるという。そのため、プッチーニのオペラとは違う部分が多々あるらしい。
恥ずかしくなるくらいストレートなメロドラマである。貧しさや病気が、愛し合う二人の前に立ちはだかる。一方で、単純な悲恋ものに多少の深さも与えられている。それは、ロドルフが戯曲を完成させるために、ミミが身を隠すという点だ。ロドルフはミミとの恋愛が刺激となって戯曲の筆が進むが、その一方でミミとの幸せな生活が戯曲の完成を遅らせている。ミミが姿を隠して、新たな試練をロドルフが受けとめなければ、戯曲の成功はなかったかもしれない。
このストレートなメロドラマは、素晴らしい。映画を素晴らしくしているのは何か?それはひとえにリリアン・ギッシュである。
「ラ・ボエーム」の製作にあたっては、製作者のサルバーグから監督やカメラマンの指名権を得ている。豪華すぎる衣装や屋根裏部屋のセットに対しては、キャラクターとは合わないと意見して変更させている。ギッシュ自身の演技の面でも、死に行く表情をリアルに表現するために、3日間液体を飲まずに過ごしたという。
1910年代から1920年代前半にかけての、D・W・グリフィス監督作品の主演女優として有名だったリリアン・ギッシュは、この頃にはグリフィスの元を離れていた。当時のギッシュは大スターだった。「ラ・ボエーム」でも同じく大スターであった共演者のジョン・ギルバートよりも、名前が前に出ていることからもそのことがわかる。リリアン・ギッシュはスターであることに甘んじることなく、自らの映画と演技に対する信念を「ラ・ボエーム」の中で表現している。
リリアン・ギッシュが出演した作品を見たことがある人はわかると思うが、彼女は非常に小柄である。彼女はその小さな体で、大きな不幸に押しつぶされそうになる役柄を演じてきた。ミミもその系統であり、彼女の十八番ともいえるだろう。映画の後半で、貧民窟の工場で働くミミの姿は、他の女性たちが大柄であることもあり、ミミには重過ぎる運命が見事に表現されている。
残された命がいくばくもなくなった後のミミを演じるリリアン・ギッシュの姿は、ただそれだけで素晴らしい。それは、先述したギッシュの努力の賜物であり、このミミの姿を見て胸に覚える痛切は、演技のリアルさゆえであるとともに、ギッシュの演技への熱い思いゆえでもある。
ギッシュは、自らが見い出したヘンドリック・サートフを、カメラマンに指名している。サートフは「リリアン・ギッシュ・レンズ」と名づけた、独自のソフト・フォーカスでギッシュを撮影したという。クロース・アップで撮影されたギッシュの姿は、ギッシュの美しさを刻印し、幻想性を高めることに成功している。
この頃、グリフィスはまだ映画製作を行っていた。だが、グリフィスの映画は、人びとに受け入れられなくなっていた。グリフィスはどんな思いで、「ラ・ボエーム」を、リリアン・ギッシュを見たことだろうか。自分が育てた女優の姿に胸を打たれただろうか、それとも嫉妬しただろうか。
「ラ・ボエーム」は、ストレートなメロドラマである。だが、素晴らしいメロドラマだ。もし、リリアン・ギッシュ主演でなかったら、ただのストレートなメロドラマで終わっていたかもしれない。その意味で、この作品の最大の功績者はリリアン・ギッシュと言えるだろう。映画は監督だけが主人公じゃないし、ストーリーだけがすべてではない。「ラ・ボエーム」はそのことを教えてくれる。