ハリウッドへやって来たヨーロッパ映画人たち

 「ヴァリエテ」(1925)の成功により、ドイツからハリウッドに呼ばれたE・A・デュポンも、1927年にハリウッドへやって来たが、1本だけを監督して去っている。

 デュポンと同じく、ドイツからハリウッドへやって来たパウル・レニは、ユニヴァーサルで怪奇ミステリー史に残る作品「猫とカナリヤ」を監督している。遺産を相続したヒロインが、遺産を奪おうとする男に、心理的、肉体的に脅かされる。古びて陰気な館で過ごすことになるグループに襲いかかる怪奇・恐怖現象をテーマにした“オールド・ダーク・ハウス”ものの先駆けと言われる。

 ドイツからハリウッドへやって来てパラマウントに入社したエミール・ヤニングスは、「肉体の道」(1927)に主演している。債権を奪われて転落した銀行員が、転落の人生を辿るが、息子が世界的なバイオリニストになり、公演をそっと聞きに行くという物語である。監督ヴィクター・フレミングの演出も、ヤニングスの演技も見事で、ヤニングスはアカデミー賞の歴史で最初の主演男優賞を受賞する。

 かつて「魔女」(1922)を監督したベンジャミン・クリステンセンは、MGMでロン・チェイニー主演の「嘲笑」(1927)を監督している。ロシア革命において、農民が暴徒から貴婦人を救う冒険ストーリーで、会社からの押し付け作品だった。クリステンセン自身も不満な仕事だった上に、興行的にも失敗に終わった。

 ロシアのオデッサ生まれのルイス・マイルストンは、マック・セネットの元で喜劇の修行した監督だ。この年は、後に人気スターとなるルイス・ウォルハイムやウィリアム・ボイドが出演したコメディ「美人国二人行脚」(1927)を監督している。この作品でマイルストンは、アカデミー賞の喜劇監督賞を受賞している。ちなみにこの作品は、当時弱冠22歳だったハワード・ヒューズが製作した作品である。