ネップ期のソ連映画とアメリカ映画の影響

 当時のソ連は、内戦による疲弊を救うために、一部に市場原理を導入した経済政策ネップが施行されていた。ネップ期のソ連映画界について、山田和夫は「ロシア・ソビエト映画史」の中で次のように書いている。

 「レーニン=ルナチャルスキーのリベラルな文化政策のもと、一元的な国営化へ急がず、多元的な生産機構の『自由競争』を尊重した<ネップ>時代、社会主義革命の理想に一体感を抱き得た当時の映画人、そのすぐれた才能と個性が奮い立って光り輝いたのは当然の帰結であった」

 「<ネップ>期のソビエト映画界を特徴づけるのはのちのスターリン時代には想像も出来ない、レーニンの『開放』政策であり、映画面では圧倒的なアメリカ映画の進出と影響であった」

 当時のアメリカ映画の影響を物語る作品に、「メアリー・ピックフォードの接吻」(1927)がある。映像理論を研究し、実験的な映画製作を行ったクレショフ工房の一員セルゲイ・コマーロフが演出した作品だ。1926年にモスクワを訪問したダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻のニュース映画に、その後撮影したフィクションのシーンをつなげて、2人が劇映画に出演しているような作品に仕上げた作品である。

 前述の「ロシア・ソビエト映画史」によると、1921年から1931年までに、ソビエト映画が971本製作されたのに対し、アメリカ映画が944本輸入されたという。特に、フェアバンクスとピックフォードの人気はすさまじかったと言われる。

 「メアリー・ピックフォードの接吻」では、ダグラス・フェアバンクスに夢中の恋人を持つ青年が、訪ソしたフェアバンクスとピックフォードに会い、ピックフォードのキスマークをもらうという話で、当時のアメリカ映画熱を皮肉った諷刺コメディであるという。

 アメリカ映画に影響を受けた作品としては、クレショフ工房出身のボリス・バルネットによる単独処女作「帽子箱を持った少女」(1927)が挙げられる。帽子店の売り子が偽装結婚したり、もらった宝くじが当たったりとした出来事が展開されるコメディ・タッチの作品である。ソビエトの映画人たちは、アメリカ映画の冒険活劇やドタバタ喜劇を研究したが、「帽子箱を持った少女」にも、アメリカ映画の要素が取り入れられている。ちなみに、「帽子箱を持った少女」は、レーニンの政策によって独立採算制を余儀なくされた撮影所が、宝くじを奨励するという建前のもと、大蔵省をスポンサーにして製作されている。

帽子箱を持った少女 [DVD]

帽子箱を持った少女 [DVD]