映画評「あれ」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ  [原題]IT  [製作]フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー・コーポレーション  [配給]パラマウント・ピクチャーズ

[監督]クラレンス・バジャー  [原作・脚本]エリノア・グリン  [脚本]ホープ・ローリング、ルイス・D・ライトン  [撮影]H・キンレイ・マーティン  [編集]E・ロイド・シェルドン

[出演]クララ・ボウ、アントニオ・モレノ、ウィリアム・オースティン、プリシラ・ボナー、ジャクリーン・ガズドン、ジュリア・スウェイン・ゴードン、エリノア・グリン

[賞]国立フィルム登録簿登録


 デパートで販売員をしているベティは、新しくデパートの社長になったサイラスに恋する。ベティには、当時噂になっていた「イット(あれ)」があり、サイラスもベティに恋をするようになる。

 「あれ」は「イット(あれ)」という言葉が記憶に残る作品である。「イット」とは何かというと、異性をひきつける要素のことであり、一言でいうとセックス・アピールのことだ。この言葉は、原作を担当したエリノア・グリンが作り出した言葉である。ルドルフ・ヴァレンティノに、女性からもてるための仕草などを教えたと言われるグリンは、当時ハリウッドと深く関わっていたし、恋愛についての書籍を発売してベスト・セラーにもなっていた。

 「イット」という言葉は流行語となり、主演のクララ・ボウは「イット・ガール」と言われたらしいが、これは決して映画がヒットした後に起こったことではない。グリンが執筆した短編「イット」はすでに発売され、流行語となっていた。その後、映画化されて大ヒット、「イット」はさらに世間に広がったのだ。

 本編を見ると、現実とつながっているかのようなストーリーになっていることがわかるだろう。新聞でエリノア・グリンの「イット」が売れていることを登場人物が知り、人々はみな「イット」について話している。レストランでサイラスが女性と食事をしていると、エリノア・グリン本人が食事にやって来て、サイラスに「イット」とは何かを説明してくれる。

 こうした点を見ると、「あれ」がいかに戦略的に作られたかが分かるというものだ。「イット」とは馬鹿馬鹿しいくらい単純なものなのだが、「イット」という言葉をつけられ、これ見よがしに語られることでそれは特別なものに変わる。これまで映画は多くの「イット」を持った男女を描いてきた。だが、まるでクララ・ボウが、映画で初めて「イット」を持った女性であるかのように描かれている。

 「イット」を持った女性たちは、それまでも多くの映画で描かれてきたが、クララ・ボウのようなタイプの「イット」は確かに描かれていなかったかもしれない。それまでに描かれてきたのは、リリアン・ギッシュに代表される処女のような聖性を持ったタイプか、セダ・バラに代表されるようなヴァンプのどちらかがほとんどだった。

 クララ・ボウが演じるベティは、異性にアピールする強い魅力を持ちながらも、友人のために役人の戦う肝っ玉の据わったところを見せる。遊園地のアトラクションで無邪気にはしゃぐ姿を見せながらも、恋の駆け引きも楽しんでいる。それまでに描かれてきた魅力的な女性たちが、どこか浮き世離れしたものであったのに対し、ベティは地に足のついた、同じ地球上に現実に存在する女性として存在している。そして、「イット」を持っている女性として存在している。非常に身近に存在する魅力的な女性として感じられるのだ。

 リアルタイムではなく、今の視点から「あれ」を見ると、クララ・ボウがどれほど「イット」を持つ女性かという興味から失望を覚える人もいるかもしれない。クララ・ボウが「イット・ガール」と言われるようになったのは、「イット」を身近な女性も持っているものであるということを表現したからである。そして、同じように「イット」を持った身近な女性が登場する作品は、この後も多く作られていくことになる。そのことは「あれ」の着眼点の鋭さを証明することになるのだが、作品としてだけ見ると物足りなさを感じるかもしれない。だから、今の人々が「イット・ガール」からイメージするのは「肉体と悪魔」(1926)のグレタ・ガルボの方が近いかもしれないし、正直私も純粋に面白く見たのは「肉体と悪魔」の方だった。

 かといって、クララ・ボウが魅力的ではないと言いたいわけでは決してない。めまぐるしく変わる表情、元気に溢れた動きといった動的な部分に加え、時に艶かしさを感じさせる静的な部分も見事に表現している。

 演出もボウの魅力を引き出すことに貢献している。例えば、大きな机の上に寝そべって、ボウが演じるベティがサイラスに話しかけるシーンでは、机本来の機能を無視することで異化作用をもたらす構図を見せてくれる。高級レストランに着ていくドレスがないことに気づいたベティが、ハサミでジョキジョキと着ている服を切ってドレスに変えていく。ここではベティの自由奔放な魅力を感じさせると共に、服の下からブラジャーが見えるという当時としてはかなり大胆なショットをさりげなく見せる。

 ストーリーはわかりやすく、ボウの魅力をひたすら引きたてることに貢献している。しかし、それよりもやはり「イット」という言葉の使い方のうまさにより、記憶される作品と言えるだろう。ストーリーは忘れてしまっても、「イット」は死ぬまで忘れられなさそうだ。