映画評「田吾作ロイド一番槍」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ   [原題]THE KID BROTHER  [製作]ハロルド・ロイド・コーポレーション  [配給]パラマウント・ピクチャーズ

[監督・脚本]テッド・ワイルド  [脚本]ジョン・グレイ、トマス・J・クライザー、レックス・ニール、ハワード・J・グリーン  [撮影]ウォルター・ランディン  [編集]アレン・マクニール

[出演]ハロルド・ロイドジョビナ・ラルストン、ウォルター・ジェームズ、レオ・ウィリス、オリン・フランシス、コンスタンティン・ロマノフ、エディ・ボーランド、フランク・ラニング、ラルフ・イヤースリー

 西部の町ヒッコリーヴィルを仕切っているのは、保安官のジム・ヒッコリーとその息子たちだった。だが、非力な末弟のハロルドは、爪弾きにされている。そんなある日、ハロルドは薬の効能を見世物にした旅芸人一座の娘メアリーと出会い、恋に落ちる。

 「ロイドの人気者」(1925)が、チャールズ・チャップリンの「黄金狂時代」(1925)を超える興行成績を挙げたことに代表されるように、この頃のハロルド・ロイドの人気は非常に高かった。「田吾作ロイド一番槍」はロイドの絶頂期の作品の1つである。

 「田吾作ロイド一番槍」の完成度は非常に高い。都会を舞台にした作品が多いロイドだが、「田吾作ロイド一番槍」は西部を舞台にしている。そこで、いつものうだつの上がらないキャラクターを、ロイドはいつものように見事に演じている。ストーリーはストレートで分かりやすいし、「ロイドが頑張る!」という展開もいつもの通りで、分かりやすく受け入れられやすい。

 この「いつもの」ロイドに物足りなさを感じてしまう部分もある。ロイドと並んで三大喜劇王と言われるチャールズ・チャップリンバスター・キートンに比べると、ロイドはアクが少ない。だからこそ、広い観客を集めたのだろうが、今あえて当時の作品を見ることを考えると、アクが強い方が興味深かったりもする。

 とはいえ、「田吾作ロイド一番槍」が見事であることは否定できない。「田吾作ロイド一番槍」のために、これまでのロイド作品にないほど多くのギャグマンを雇ったと言われている。そのおかげか、ギャグは冴えている。終盤の難破船での悪漢との追いかけっこに絡む猿の使い方には唸らされた。

 多くのギャグの中で、私の興味を引いたのは、ショットの始めに映し出された印象と実際のギャップを利用したものだ。例えば、人間の身長ほどのひまわりが多く立ち並んでいる。そこにハロルドを追いかけて悪漢たちがやって来る。すると、ひまわりの花の1つが動いて、隠れていたハロルドの顔が見えるといったものだ。このギャップのギャグは、決してロイドのオリジナルではない。チャップリンは「担え銃」(1918)で、木を演じて観客を騙す。カカシになって観客を騙すギャグはキートンの作品にも見られる。だが、ロイドは、この騙しのギャグをこれでもかと連発してみせる。ハロルドの2人の兄は、メアリーにパジャマ姿を見られないようにあらゆるところに隠れて、観客を騙す。ハロルドは、難破船で悪漢に見つからないように、あらゆるところに隠れて観客を騙す。

 ギャグは思い付きではなく、計算されている。観客と登場人物が知っていることの差は、笑いの生み出すパワーの源の1つだが、「田吾作ロイド一番槍」ではそれを見事に使いこなしている。もはや、単純に転んだり、単純に殴られたりというギャグは、ここにはない。

 計算はあらゆるところに感じられる。例えば、ハロルドの兄弟たちは、最初はロイドの敵のように描かれる。しかし、町の人々が出資したダム建設のための資金が盗まれると、敵は明確に泥棒に移る。そのため、兄弟たちは、女性に対しては紳士的で、時にはお茶目な、魅力ある人間として描かれている。家族の価値を重視しているという点で、この作品は万人に受け入れられるように作られている。そこが、チャップリンとは違う。チャップリンには家族すらいない。

 演出についても、「田吾作ロイド一番槍」にはこれまでにないようなシーンが用意されている。それは、ハロルドが立ち去るメアリーに話しかけるために、木に登って声をかけるシーンだ。丘を越えて下っていくメアリーは徐々にハロルドの視界から消えていく。そんなメアリーを追いかけるように、ハロルドは木に登って何度もメアリーに声をかける。ハロルドの恋心が伝わってくる愛おしいこのシーンは、エレベーターにカメラを置いて木を上るロイドの姿を追いかける撮影方法が撮られている。エレベーターが撮影に使われた最初期の例であるこのシーンが、非常に考えられて撮られていることが分かるだろう。そして、その効果は見事だ。

 他にも移動撮影がところどころに導入されるなど、実質的にロイドが監督したと言われる演出は見事だ。他の作品でもそうだが、ロイドは監督としてクレジットされていない。ちなみに、「田吾作ロイド一番槍」は、最初ルイス・マイルストンが監督として務めていたが、契約の問題で数シーンしか撮らなかった。

 ハロルド・ロイドの絶頂期を代表する作品の1つだろう。おそらく、製作費はそれまで以上に使うことが出来ただろうし、撮影日数も多く取れたことだろう。それが、映画に見事に結実している。しっかりと計算され、見事に演出されたウェルメイドな作品だ。一方で、そのことが作品のアクを失わせ、チャップリンキートンのような知名度を現在でも保つことができない理由なのかもしれない。しかし、これだけは言いたい。この作品は面白い。