映画評「第七天国」

※ネタバレが含まれている場合があります

シネマ語り~ナレーションで楽しむサイレント映画~第七天国 [DVD]

[製作国]アメリカ   [原題]SEVENTH HEAVEN  [製作]フランク・ボーゼージ・プロダクション  [製作・配給]フォックス・フィルム・コーポレーション

[監督]フランク・ボーゼージ  [製作]ウィリアム・フォックス  [原作]オースティン・ストロング  [脚本]ベンジャミン・グレイザー、キャサリン・ヒリカー、H・H・コールドウェル  [撮影]アーネスト・パーマー、ジョセフ・A・ヴァレンタイン  [編集]バーニー・ウルフ  [美術]ハリー・オリヴァー

[出演]ジャネット・ゲイナーチャールズ・ファレルアルバート・グラン、デヴィッド・バトラー、マリー・モスクィーニ、グラディス・ブロックウェル、エミール・ショタール、ベン・バード、ジョージ・E・ストーン

 舞台はパリ。姉から虐待を受けているディアンは、アパートの7階の屋根裏に住むシーコゥと出会う。2人は互いに惹かれあい、結婚を決意。ちょうどそのとき、第一次大戦が勃発し、シーコゥは戦場へと出征することになる。

 甘い甘い物語である。しかし、何とも美しく、何とも胸を締め付けられる作品である。毒か薬になるかと聞かれたら、毒にも薬にもならないと答えるだろう。しかし、世の中は役に立つものだけで成り立っているわけではない。無駄なものこそが、人間らしいものなのだとしたら、「第七天国」は人間が作り上げたものとして、とても人間らしい作品と言えるかもしれない。

 2人の男女が出会い、互いに惹かれあい、互いに影響を与え合う。そんな世の中のどこにでも起こっており、世の中を成立させていることを、「第七天国」は描いている。姉に虐待されて下ばかり向いているディアンは、下水道で働いていながらも上ばかり向いているシーコゥから上を向くことの大切さを教えてもらう。淀川長治によると、永六輔が作詞した「上を向いて歩こう」は、「第七天国」から取られているという。私たちはディアンと同じように、上を向いて生きていくという、すぐに忘れてしまいそうなことを思い出すことになる。

 という点が最も特徴的なように、この作品は非常に単純で、非常にストレートだ。シーコゥが戦場に行くことになり、2人は約束する。「毎日11時に会おう」と。2人は毎日11時になると、互いのことを思い出している。非常に単純で、非常にストレートだ。

 「第七天国」が恋愛映画の最高峰とまで言われることがあるのは、この単純さとストレートさによる。当時の社会情勢など知らなくても、大げさに書くと男女の心の機微など分からなくても、「第七天国」は私たちに真っ直ぐに訴えかけてくる。

 真っ直ぐであるが、その真っ直ぐさは工夫に凝らされている。さすがに元々が話題を呼んだ舞台劇というだけある。自信満々でプライドが高いシーコゥは、恥ずかしくて「愛している」と言えない。だが、ディアンは言って欲しい。そこでシーコゥは言う。「これでどうだ。ディアン、シーコゥ、天国」。この言葉は、「愛している」という言葉よりも恥ずかしく、そしてより強く愛の言葉だ。シーコゥのキャラクターを生かした上で、2人の強い絆を感じさせるエピソードになっている。

 さらに、シーコゥのポジティブな力によって、ポジティブで強い女性になっていくディアンの移り変わりが見事に描かれている。自信満々で強気な性格のシーコゥだが、出征を前にして初めて弱い面を見せる。それを励ますディアン。当初とは逆の立場になっている2人の関係に、「喜びを分かち合い、苦しみは共に乗り越える」という結婚における決まり文句が具現化した姿を見ることになる。

 ストーリーだけで、映画は成り立っていない。映画は映像の産物である。「第七天国」のタイトルの由来は、2人が住むアパートの部屋が7階にあることによる。このことは、「上を向いて生きていこう」というメッセージが込められている。最初に延々と階段を昇るシーンの長回しは見事だ。この長い階段は、2人が上を向いて生きていくためには苦難がつきまとうことも意味している。加えて、映画の終わりに、シーコゥが群集を掻き分けてディアンの元に向かい、最後に駆け上がるのもこの階段だ。それは、一刻も早く2人を再会させてあげたい映画を見る私たちにとっても、もどかしい存在となっている。「階段」は、映画のテーマに加えて、観客の心情を盛り上げるための道具としても機能している。これこそが、映画というものではないか。

 私が「これこそが映画だ」と思った瞬間がもう1つある。それは、2人が再会したとき、時計が11時を指しているショットが短く挿入されるのだ。11時は、離れ離れになった2人が、互いを思い出すことを決めた時間である。これは非常に甘いし、クサいと言ってもいいだろう。だから、時計の映像は短ければ短いほど、さりげなければさりげないほどよく、「第七天国」の時計のショットは、絶妙だ。

 第1回のアカデミー賞に、「第七天国」は作品賞、監督賞、女優賞、脚色賞、室内装置賞の5部門の最多ノミネートを果たしている。受賞したのはボーゼージの監督賞とゲイナーの女優賞(「街の天使」「サンライズ」の演技も評価されての受賞)である。当時のハリウッド映画の風紀への批判が反映されているという見方もあるようだが、ジャネット・ゲイナーは、受賞に値する演技を見せていると私は思う。かつてリリアン・ギッシュが演じたようなキャラクターだが、ギッシュが聖性を感じさせる演技であるのに対し、ゲイナーは人間的な演技を見せ、強さと弱さの両面を見事に表現している。

 監督賞を受賞したボーゼージの演出もまた見事だ。ストーリーに頼ると甘いだけの映画になってしまうところを、階段を見事に使いこなし、さりげなさで甘さを調節している。

 「第七天国」は甘い映画だ。だが、甘いからといって悪いわけではない。映画というメディアに合うように調理された、上質の甘さの作品である。