映画の興行的・娯楽的祖先(8−1) テアトル・オプティーク エミール・レイノー

 テアトル・オプティークはエミール・レイノーが自ら開発したプラクシノスコープを発展させたもの。長い挿絵の帯を手動で巻きとって動かしながら、集光レンズと鏡の組み合わせでスクリーンに映写した。動画はゼラチンの帯の上に描かれ、帯の両側に空いた送り穴(パーフォレーション)によって絵が送られるようになっていた。

 レイノーはテアトル・オプティークを販売しようとしたが、操作に技術を必要としたために売れなかった。そのために、レイノーは博物館と契約し、テアトル・オプティークの上映を行う事になった。1892年から、「パントミーム・リュミヌーズ」と呼ばれる上映を開始した。

 レイノーには、平日に毎日5回、日曜と祭日には12回ずつ上演する事が義務付けられていた。一切の費用はレイノーの負担だった。博物館は電気と伴奏楽師を供給した。その報酬は毎月500フランと、見世物の特別収入の1割だった。レイノーにとってはかなり厳しい条件だったといえるだろう。