映画の興行的・娯楽的祖先(8−2) テアトル・オプティーク エミール・レイノー

 レイノーの最初の出し物は「道化師とその犬」「うまい一杯のビール」「哀れなピエロ」の3本。反復や、歌をうたう人物たちの身振りを簡潔にする、背景と登場人物の分離といった現在のアニメーションでも行われている方法を用いていた。またサウンドつきで、ちょうどよく効果音がなる工夫もされていた。

 レイノーには、毎年見世物を一新する事が義務付けられていた。そのためにレイノーは上映の仕事をしつつ、脚本を考え、機械的な複製手段なしに、1500枚の挿絵のデッサンを描き、彩色し、台紙にはめ込んだ。挿絵の帯が、毎週42回にわたるアーク灯の熱に耐えきれず、損傷を被るようになり、毎夜代用の画像のデッサンなどを行った。

 レイノーはプログラムの変更のために、映写技師を雇い上映をまかせ、自らは新作の製作を行ったが、新作は間に合わず1894年3月1日から12月31日まで休演となった。