映画の興行的・娯楽的祖先(8−3) テアトル・オプティーク エミール・レイノー

1895年10月にはクロノフォトグラフ・マレイを応用した「フォトセノグラフ」という写真撮影機を製作。フィルムをそのまま使うのではなく、塗り直したり、彩色してテアトル・オプティークに利用した。
 1896年の4月からは二人の道化師を撮影し、新作を製作した(「ウィリアム・テル」)。すでにリュミエール兄弟によるシネマトグラフは登場していたが、客が入った。
 次の新作のために俳優に「パントマイムによる一人芝居」を演じてもらい撮影し、新作を製作(「最初の葉巻」)。レイノーの地道な方法のため、製作が遅れたが、1897年7月から公開された。
「最初の葉巻」はレイノーの最後の作品となった。シネマトグラフなどの実写映像に人々の興味は移り、1900年3月1日からはテアトル・オプティークはラインナップから外される。テアトル・オプティークは7年間にわたり上映され、50万人以上を動員した。