キネトスコープ エジソン(2)

 エジソンは1894年に次のように記している。「1887年に、耳に対して蓄音機がなした事を視覚に対してなす機械を組み立てることができるという考えが私に起こった。この機械は音と運動という二つを組み合わせて、記録し同時に再生するのである」と。
 当時、エジソンは蓄音機の改良に努めていて、その延長線上で映像の記録に思い至ったというのは理屈が通っている。だが、まるで自分がある日突然思いついたかのような書き方は疑ってみる必要があるだろう。
 馬の連続写真を撮影したエドワード・マイブリッジとエジソンが、マイブリッジが作った連続写真を短時間だが動いて見ることができる機械とエジソンの蓄音機をむすびつけた機械の相談をしたいたという話がある。。また、すでに映写機の開発にある程度成功したというウィリアム・フリーズ=グリーンというイギリス人が、蓄音機と映写機の同調を考えてエジソン社に相談し、そのことがエジソンに映像への研究を決定させたという説もある。
 結局はよくわからない。エジソンが誰の影響を受けたのかかはともかく、エジソンにはすべての手柄を自分のものにするかのような一面があったということは確かだろう。このことは、トラブルの元ともなり、成功の元ともなっているといえる。