キネトスコープ エジソン(3)

 きっかけはどうであろうとも、1888年からニュージャージー州エスト・オレンジのエジソンの研究所では、映像に向けての研究が始まった。実際に研究をメインで担当したのはウィリアム・ディクソンという人物だった。だが、ディクソンは持っている時間のすべてを映像の研究に捧げたわけではなく、他の研究と掛け持ちで、研究はなかなか進まなかった。
 研究の進み具合は遅くとも、エジソンは1888年の段階で、早くも映像についての暫定特許を出願している。まだ実現の見込みがなくとも、とりあえず暫定特許を出願し、後に何かあったときに「暫定とはいえ、先に出願してたからこちらに権利がある」と主張できるようにしておくあたりは、さすがはエジソンである。これはイヤミではなく、数々の特許についての訴訟を経験してきたことからくる経験によるものだ。
 問題は暫定特許を出したこと自体ではなく、その内容だ。エジソンは蓄音機を応用したものとして、この特許を申請している。その内容は、1/16インチ四方の小さなコマからなる無数の写真の連続が螺旋状にシリンダに記録されるというものだった。見るときは、拡大鏡でフィルムそのものを見ることになる。
 この機械は実際にディクソンによって作られている。だが、結果は惨憺たるものだったようだ。彼らは、残像現象によって映像として人間が知覚するためには間欠装置(連続していながら、一瞬ずつ止まるという装置)が不可欠であることすら知らなかったのだ。また、非常に小さなコマを拡大鏡で見ることを想定していたが、その画質の粗さも失敗の原因の1つだった。画質の向上を求めて、当時できたばかりのセルロイドフィルムをシリンダーに巻いてみたが、硬くてダメだった。