キネトスコープの興行(3)

 1894年4月14日、ニューヨークのブロードウェイ1155番地にキネトスコープパーラーが開かれた。続いてアメリカ国内の各都市に広がり、ロンドンやフランスにも広がっていった。
 キネトスコープは儲かった。物珍しさから客は押し寄せた。さらに、ラフとギャモンにとってうれしいことに、宣伝予算にあまり金をかける必要がなかった。なぜなら、エジソンが発明した新しい機械は、自然と新聞で取り上げてくれたからだ。
 ちなみに、当時のアメリカにおいて25セントという金額は中流階級の人々じゃないとなかなか出せない金額だったようだ。このことは、エジソンが庶民を相手に興行するという意思がないことを示している。あくまでも金持ちにキネトグラフとキネトスコープを買わせることがエジソンの当初の目的であり、映画の興行は宣伝と考えていたであろうということは、「世界映画全史」の中でジョルジュ・サドゥールも述べている。この時点でエジソンはあくまでも機械の販売者だったのだ。

キネトスコープ写真は下記サイトで見られます。
http://jvsc.jst.go.jp/find/anime/rekisi/list/cscope_01.html