キネトスコープの興行(5)

 エジソン社を離れたディクソンは、レイサム一家とも手を切り、他の人々と手を組み、1895年末にアメリカン・ミュートスコープ社を設立する。ディクソンはキネトスコープの特許を侵害しない形で(キネトスコープの開発に参加していたのだから、それは簡単だった)、覗き見式の機械「ミュートスコープ」を製作する。パラパラ漫画のように、1枚1枚の写真が高速で繰られることで、1分ほどの映像を見せるミュートスコープは、キネトスコープよりも大きな映像を見ることができた。
 ミュートスコープは人気を呼び、キネトスコープは致命的なダメージを受けることとなる。

 キネトスコープの人気が落ちてきた1895年12月、次なる映画の主役が登場するそれは、リュミエール兄弟によるシネマトグラフだ。