ヴァイタスコープ(1)

 まだ、アメリカにシネマトグラフが輸入される以前の1896年の初頭、ミュートスコープの人気とキネトスコープの凋落により、窮地に陥ったラフとギャモンに救世主が現れる。それは、エジソンではなく、トーマス・アーマットという人物だった。彼は、上映式の映写機をラフとギャモンに売り込みにきたのだ。キネトスコープが八方塞り状態となっていたラフとギャモンにとって、渡りに船の話だった。2人はエジソンを説得してアーマットの機械(ヴァイタスコープと名づけられる)を生産する設備を作った。

 ラフとギャモンはこのときに、ヴァイタスコープがアーマットの名前ではなく、エジソンの名前で発明されたものであるとして売り出すことにアーマットに同意させた。ヴァイタスコープが収益を上げた後に、アーマットの名前を出して正当な名誉を与えることを約束した。だが、やはりというか、残念ながらというか、ヴァイタスコープが公開された後、アーマットの功績が称えられる日はこなかった。