ヴァイタスコープ(2)

 1896年4月、ヴァイタスコープはエジソンの発明として記者公開される。数週間後にはニューヨークで一般デビュー。このとき、称えられるエジソンとは対照的にアーマットは映写室にこもって機械の操作に汗を流した。

 ヴァイタスコープは興行的に成功を収める。ラフとガモンはヴァイタスコープ公開前の危機的な経済状況から脱出することができた。

 エジソンはヴァイタスコープを成功を見て、映像の未来についての考え方を改めたのか、映像についての古い特許(1891年に申請したもの)に、修正項目を追加して再申請した。修正項目の内容とは、テープ状のフィルムの使用、間欠送り機構の装備、単レンズ式であることなどである。これらの項目はかつて申請した際に、先例をあげて特許庁により退けられたものだったのだが、修正項目として申請されたために見逃されることになり、後に特許戦争が起こる要因の1つとなる。