ジョルジュ・メリエスの活躍(2)

 メリエスはトリック映画の他にも喜劇や、ニュースを再構成した作品などを製作した。ニュース映像というものがまだ存在せず、ニュースを伝えるための写真の活用もあまり行われていなかった時代に、ニュースを再構成した作品は成功を収めた。

 といっても、1897年当時のメリエスの成功は「大成功」というほどのものではない。メリエスは自らが所有していた奇術の劇場「ロベール=ウーダン劇場」を映画館に変えようと試みるが、結局断念している。映画は奇術と一緒に出し物の1つとして、観客に受け入れられた。

 この程度の成功だったとはいえ、映画が危機に貧していた時代において、メリエスはそれまでの街頭場面や日常場面を撮影した作品から、フィクションのおもしろさを映画に付与することによって、映画を生き長らえさせたのだといわれている。

 またメリエスは、世界初のヌード映画と言われる「舞踏会のあとの入浴」(1897)という作品も製作している。女性の裸のように見える映像は、実際は肉襦袢をまとったものだったという。自分の愛人を使い、そのヌードを見せて人々を欲情させようとしたメリエスの見世物師の気質がよくわかる作品である。