リュミエール社が独占体制を放棄(1)

 映画の父として後世まで名前を残すリュミエール兄弟によるリュミエール社は、シネマトグラフの機械を販売するのではなく、撮影・上映技師を世界中に派遣し、興行・撮影を行うという方式をとってきた。
 1898年9月に、リュミエール社は装置の販売を解禁することを決意する。その背景にはいろいろあるが、何よりも、リュミエール社は機械の販売をメインとする会社であり、リュミエール兄弟もそのように考えていたという点がある。シネマトグラフの独占的な興行や、フィルムの撮影は、シネマトグラフの機能を世界中の人々に知らしめるために行っていたのであって、興行や撮影自体をリュミエール兄弟は商売としていくつもりはなかったようだ。