1898

 イギリス ジョージ・アルバート・スミスの作品 1898年

「The Miller and the Sweep」 イギリスの映画製作者、ジョージ・アルバート・スミスによる作品。 風車の前で白い服を着た男と黒い服を着た男が、白い粉の入った袋を武器に殴り合う。 ミュージック・ホールなどで見ることが出来たコントを映画化したものらし…

 フランス ゴーモン社の作品 1898年

「L’AVEUGLE FIN DE SIECLE」(1898) 英語題「THE TURN-OF-THE-CENTURY BLIND MAN」 製作国フランス Société des Etablissements L. Gaumont 監督アリス・ギイ ベンチに座る男をめぐるちょっとしたコント。寄席の出し物を撮影したかのようなスタイル。…

 ロバート・ウィリアム・ポールとジェームス・ウィリアムソンの作品 1898年

「Come Along Do!」 イギリスの映画製作者、ロバート・ウィリアム・ポールとジェームス・ウィリアムソン監督作。 老カップルがベンチに座っている。左の入り口には「アート」、右の入り口には「リフレッシュ」と書かれている。「アート」に2人の若い女性が…

 エジソン社の作品 1898年

この年は米西戦争が起こった年である。映画各社は米西戦争の撮影のためにキューバに向かったが、軍によって撮影を拒否されたと言われている。その代わりに、各社は演出された米西映画を撮影した。当時の観客の中には本当の映像を勘違いした人も多かったとい…

 1898年のその他の状況

1898年においては、ジョルジュ・メリエスは幻想的な映画にするためのテクニックに磨きをかけていた。ミニチュア撮影、二重焼き、多重露出、マスク、移動撮影(対象に近づいたり離れたりすることで、画面上の人物が大きくなったり小さくなったりした)と…

 リュミエール社が独占体制を放棄(2)

リュミエール兄弟は、映画自体に未来があるとは信じていなかった。流行っては、すたれていく数多くの新しい見世物の1つとして考えていたようだ。リュミエール兄弟はこの後、立体映画や巨大スクリーンへの上映へと力を注いでいく。彼らは、技術者であり、研…

 リュミエール社が独占体制を放棄(1)

映画の父として後世まで名前を残すリュミエール兄弟によるリュミエール社は、シネマトグラフの機械を販売するのではなく、撮影・上映技師を世界中に派遣し、興行・撮影を行うという方式をとってきた。 1898年9月に、リュミエール社は装置の販売を解禁す…

 トリック撮影によるニュース映画

1898年4月、米西戦争が勃発している。この際、幾人かのアメリカの映写技師が戦闘シーンを撮影しようとキューバに向かったが、軍によって撮影を拒否されている。実写での映画撮影が不可能と分かった人々は戦闘シーンを演出して撮影した。エジソン社、ア…

 エジソン社、ミュートスコープ社を訴える

再び、外国の話に戻る。1898年のこと。 アメリカで起こっていた特許戦争は新しい局面を迎えていた。1898年5月、エジソン社は最大のライバル会社であるアメリカン・ミュートスコープ社を訴えたのだ。他の中小の映画会社とは異なり、エジソン社と対抗…