リュミエール社が独占体制を放棄(2)

 リュミエール兄弟は、映画自体に未来があるとは信じていなかった。流行っては、すたれていく数多くの新しい見世物の1つとして考えていたようだ。リュミエール兄弟はこの後、立体映画や巨大スクリーンへの上映へと力を注いでいく。彼らは、技術者であり、研究家であり、商売人を目指したが、決して映画作家を目指してはいなかった。

 販売が解禁されたシネマトグラフだが、売れ行きはよいとは言えなかったらしい。その最大の理由は、1898年にゴーモン社から発売されていた「クロノ・ゴーモン」の方が技術的な質の面ですぐれていたからだ。

 リュミエール兄弟は、シネマトグラフの販売を解禁したからといって、撮影をやめるわけではない。これから後も引き続き、撮影は続けられていくが、そのペースはそれまで年400本ほどだったものが、年50本程度まで落ちることになる。