フェルディナン・ゼッカの映画製作

 パリ万博での仕事によってパテの信頼を得たゼッカは、この年から映画製作を始めている。その作品の多くは、ジョルジュ・メリエスやイギリスの人々の剽窃だったという。トリック映画、再現されたニュース映画、数多くの喜劇映画などをゼッカは撮影していた。

 独創性があったのは、際物的な映画だったという。「ある犯罪の物語」「アルコール中毒の犠牲者たち」といった、社会の暗部を描いた作品だ。

 ゼッカは他の作品を剽窃した作品や、独創的な作品を織り交ぜ、とにかく数多くの作品を世に送り出していく。パテ社はとにかく大量の作品を世に送り出すことで、市場を制することになる。映画の著作権が確立されておらず、映画製作にも時間がかからなかった時代のため、題材の新奇性や撮影テクニックを考える暇があったら、他人の作品を盗んだ方が早かったのだ。見る方は、パテ社の作品だろうが、他の会社の作品だろうが、関係なかったのだ。そのため、パテ社の機敏な動きが、市場を制することになったのだろう。