イギリス映画の状況(1903)

 イギリスでは、ウォーリク社やアーバン社といった会社がニュース映画やドキュメンタリー映画を製作しはじめる。特にアーバン社は世界中にカメラマンを派遣して、「セルヴァン登頂」(1903)「デリーの謁見所」(1903)といったドキュメンタリーを撮影していく。

 G・A・スミスは「メアリー・ジェーンの災難」を監督。主人公の動きに応じてショットを割る手法がとられていた。イギリスでは「大胆な白昼強盗」「密猟者の必死の闘争」(ともに1903年)といった「追いかけ映画」も多く撮られていくが、ここでもショット割りが多く使われていた。

 また、イギリスでは「ジャックが帰宅するまで待て」「脱走兵」(ともに1903年。ジェームズ・ウィリアムソン監督)といった社会問題を扱ったリアリズム映画も撮られるようになる。