イタリア、スペイン、ドイツ(1905)

 この年、イタリアで映画機器開発者でもあり、ローマの映画館経営で成功していたフィロテオ・アルベリーニは、ダンテ・サントーニの資本参加を得て、最初の映画製作会社「アルベリーニ・エ・サントーニ社」を設立している。

 ローマに敷地2,000平方メートルの撮影所を建設。この撮影所は総ガラス張りで、特撮用の大きなプールもあり、暗室では50人以上の女性が働いたという。アルベリーニ・エ・サントーニ社は、「ローマ占領」(大作歴史劇映画)や、シネマトグラフのカメラマンだったヴィットリオ・カルチーナを派遣して撮影した「カラブリア地震」(ニュース映画)といった作品を製作している。

 7つの場面からなる14分弱の作品である「ローマの占領」は、イタリア初の本格劇映画と言われる。撮影は、フィロテオ・アルベリーニである。1870年の統一イタリア軍のローマ進撃を扱った内容は、当時ローマの見世物小屋で上演されていたパントマイム劇が原作とも言われる。以後、パントマイム劇は映画の有力な素材源となる。イタリア政府の許可で、当時の武器や軍服を身に着けた本物の兵士を使用したという。当時のイタリアは政治的に不安定で分裂の危険もあり、時代的気分を反映していたという。

 アルベリーニ・エ・サントーニ社には、後に監督として活躍するマリオ・カゼリーニが俳優として入社している。

 ちなみに、アルベリーニは映画技術の発明にも力を入れ、この後ポータブル撮影機やワイド・スクリーンの特許を取得していく。

 イタリアで前年より映画製作を開始していたアルトゥーロ・アンブロージオも、トリノの別荘を改造してスタジオを建設し、同時にアンブロージオ・フィルム社を発足している。クニベルティ劇団の役者や、ルイジ・マッジのトリノ方言演劇愛好劇団の役者たちと契約を結び、新聞記者エルネスト・マリア・パスクアーリを脚本家と雇っている。また画家2人と契約して、背景係としている。

 アンブロージオもまた、カラブリア地震の被害地に協力者のロベルト・オメーニャを送って、記録映画を撮影している。

 アンブロージオ社には、後に監督として活躍するジョヴァンニ・パストローネが会計係として入社、カメラマンのジョヴァンニ・ヴィトロッティも入社している。

 他にも、カルロ・ロッシ、グリエルモ・レンメルト、ランベルト・ピネスキがトリノでカルロ・ロッシ社を設立している。カルロ・ロッシ社は、フランスのパテ社と提携していくことになる。

 スペインでは、セグンド・デ・チョモンによる最初の喜劇映画「公園の伊達男」も製作されている。

 ドイツでは、それまでオスカー・メスターによるメスター社が、1902年に「サロメ」を製作したり、1903年に映画と蓄音機を組み合わせた上映会を開いたりしていたが、1905年以降、撮影者兼監督のカール・フレーリヒの指導の下に映画製作を開始している。