アメリカ(1905)

 アメリカでは、エジソン社のエドウィン・S・ポーターが、ジョルジュ・メリエス的な「クリスマス前夜」、イギリスのセシル・ヘップワースの作品に似た「レアビット好きの夢」といった作品を製作している。

 ポーターはメリエスやイギリスの作品を剽窃して作品を製作していたが、1904年の「前科者」や、「窃盗狂」(1905)といった作品では、貧しい者と富める者の対比などで独特の味わいを出していると言われている。

 また、スチュアート・ブラックトンとアルバート・E・スミスが指揮をとっていたヴァイタグラフ社では、「素人強盗ラッフルズ」(1905)が製作され、ヒットを飛ばしている。

 興行の面では、当時は夏の暑さが映画上映にとっての大敵だった。締め切った空間で、夏の暑さに耐えながら映画を見るのは非常に辛いことだったのだ。1900年代半ばからは、夏の暑気対策として屋根のない簡易劇場「エアドーム」が建設されている。「エアドーム」は、ドライブ・イン・シアターのさきがけとも言われている。