ニッケル・オデオンの誕生(2)

 後に、ハリウッドの大立者となる人々もニッケルオデオンで資本を蓄えた人々である。

 アドルフ・ズーカーは、1903年にペニー・アーケードの施設を営む会社を仲間と一緒に設立し、マーカス・ロウを仲間に引き入れたが、会社から除名されていた。その後ズーカーは、「ヘイルズ・トゥアーズ」という名の、列車の車両を真似た座席に人を座らせ、列車や船から撮影したフィルムをスクリーンに映写するというアトラクションの興行を行っていた。この「ヘイルズ・トゥアーズ」はニューヨーク、ボストン、ピッツバーグでヒットするが、ブームはすぐに去っていき、ズーカーは負債を抱えていた。

 そんな状況の中で、ズーカーはピッツバーグでのニッケルオデオンの大成功に目を留める。すぐに「ヘイルズ・トゥアーズ」を上演していた小屋をニッケルオデオンへと代える。これが大成功して、ズーカーは負債を抱えていた状況から、多大な利益を得る状況へと180度転換する。

 また、ウィリアム・フォックスもブリックリンのペニー・アーケードの所有者となり、続いてブロードウェイに映画館を開館する(ニケレットと名づける)。

 ニッケルオデオンは急速にアメリカ全土に広がっていき、アメリカの映画産業の地盤も急速に強化されていくこととなる。