その他(1906)

 映画の巨大産業化は次第に進んでいた。

 フィルムの焼付け工場も大規模なものが作られ、パテ社ではこの年、巨大な焼付け工場を建設し、1日4万メートルの現像が可能となった。5年ほど前まで、ジョルジュ・メリエスは1日100メートルほどしか現像できなかった。ゴーモン社も、連続操作で自動的に現像が行われる機械を開発していた。

 フィルムをつけるパーフォレーション(フィルムの両脇につけられた送り穴)につける穿孔機もパテ社によって開発された。それまで、間隔が一定ではなく、チラつきの原因となっていたパーフォレーションは、一定の間隔で開けられるようになった。

 映画興行の面では、ニッケルオデオンが流行となっていたアメリカに対して、ヨーロッパでも大都市では常設の映画館が多数作られるようになった。だが、アメリカと比べるとその割合は低かった。