モーション・ピクチャー・パテント・カンパニー(MPPC)の設立(2)

 このまま決裂かと思われたが、バイオグラフ社ケネディエジソン社に対して、このまま両社の意見が一致をしなければ、世界中にバイオグラフ社製の映写機を販売するとエジソン社に圧力をかけた。バイオグラフ社の映写機が世界中に広まると、エジソン社が形成しているカルテルはその存在意義を失うことになるのだった。

 ついには、エジソン社とバイオグラフ社は和解した。12月に、1907年末にエジソン社の提示に同意した8社にバイオグラフ社を加えた9社は、「モーション・ピクチャー・パテント・カンパニー(MPPC)」を設立した。その9社とは、エジソン社、バイオグラフ社、ヴァイタグラフ社、ルービン社、シーリグ社、エッサネイ社、カーレム社、パテ社、スター・フィルム社の9社である。パテ社とスター・フィルム社(ジョルジュ・メリエスの会社)の2社のみがヨーロッパの会社だった。

 MPPCは、「エジソン・トラスト」と呼ばれるようになった。実態はカルテルなのだが、より強いインパクトのある「トラスト」の名が好まれたのだろう。

 MPPCは、製作者の95パーセントを押さえ、生フィルムの製造をほぼ独占的に行っていたイーストマン社と、フィルムの独占販売の契約も結んだ。製作業者を抑えたエジソン社は、続いて興行者に目を向けることとなる。