D・W・グリフィスの監督デビュー(1)

 前年、エジソン社で俳優として映画界入りしたグリフィスは、この年バイオグラフ社にシナリオを売り込み、「質屋アイザク老人」(1908)のシナリオを採用してもらう。以後、バイオグラフ社で俳優業を行いながら、シナリオを提供していく。

 さらに、「ドリーの冒険」という作品で、グリフィスは映画監督としてデビューしている。映画はヒットし、映画監督として正式にバイオグラフ社と契約する。グリフィスは週2本のペースで映画を製作。徐々に信頼を得るようになり、俳優の雇用や劇団の募集もまかされるようになり、ヴァイタグラフ社から女優のフローレンス・ローレンスなどを引き抜くなどして、俳優陣を充実させていく。この年の終わりには2,30人の俳優たちがバイオグラフ社と関係を持ち、映画草創期のアメリカ映画のスター養成所の様相を呈していた。