ロシアの映画製作(1908)

 劇映画を製作していたドランコフは、「ステンカ・ラージン」(1908)をこの年発表している(初の「国産」映画と言われている)。18世紀を舞台に、貴族とツァーリに対してコサックと農民の蜂起を描いたこの作品は成功を収めた。この作品は、有名な酒歌に関するもので、以後古典の映画化の傾向が1911年まで続いていく。

 元鉄道員のワシリー・ゴンチャロフがシナリオを、俳優ウラジミル・ロマーシコフが監督を担当し、上映時の伴奏音楽をミハイル・イッポリートフ=イワーノフが作曲した。主演はペテルブルグ劇場の俳優エフゲニー・ペトロフ=クラエフスキーだった。上映時間は7分半。演技は大げさだが、ヴォルガ河や森の実景のロケ撮影は効果を上げているという。

 またドランコフはこの年、小説家のトルストイを撮影している。トルストイは映画とシナリオに興味を持っていたといわれている。トルストイは、映画のためのドラマを書くことを考えていたが、実現しなかった。

 ロシア国内での映画製作は、まだ脆弱でこの年の映画製作は9本といわれている。


(映画本紹介)
魔術師メリエス―映画の世紀を開いたわが祖父の生涯

 ジョルジュ・メリエスの孫であるマドリーヌ=マルテット・メリエスによるジョルジュ・メリエスの評伝。メリエスの映画製作はもとより、妻や愛人の関係や映画製作を行わなくなってからのメリエスの様子などが描かれている。
 映画製作を行わなくなった後のメリエスが、世間的に言われるほど不幸ではなかったことがわかる。
 身内が書いているので、メリエスびいきになっているのを考慮に入れて読む必要がある。