イギリス、ドイツ、チェコなどの映画製作(1908)

 イギリスでは、イギリスの伝統ともいえるドキュメンタリー主義的な作品が撮影されていた(1906年のウェルマン北極探検隊に同行したが、極地にたどりつけず、フィルムも未公開に終わった)。「ゴールウェイ県の牛追い」(1908)はウィリアム・ポールが売り出した最後のドキュメンタリー的作品である。やがてイギリスでは、手のかかる社会問題から、昆虫や動物の習性や、遠方の土地や植民地の光景を撮ることになる。

 ジェームズ・ウィリアムソンは、ドキュメンタリー主義的な演出作品「まだ名前にふさわしい」(1908)を発表している。この作品は、ドキュメンタリー主義的なタイプの最後の作品といわれている。

 またイギリスでは、探偵映画シリーズが1908年から1914年にかけて製作され、イギリス国内で人気を得ている。センセーショナルな三面記事や、犯罪の匂いのするメロドラマから着想を得た作品が作られた。

 文芸映画も、各社で製作されるが、あまり反響は呼ばなかった。

 ドイツではメスター社が、女優ヘンニー・ポルテン、演出家フランツ・ポルテン、クルト・シュタルクを得て映画を製作していた。また、後にドイツを代表するプロデューサーとなるエーリッヒ・ポマーが映画界入りしている。ポマーは、フランスのゴーモン社のベルリン支社で映画企業のシステムを学んでいくことになる。

 チェコでは、最初の映画製作会社キノーファ社が設立されている。

 スペインでは、フランクトゥオッソ・ヘラベルトによる記録映画「歴史の町へローナ」(1908)や、ヘルベルト製作したフィルムス・バルセロナの作品である劇映画「マリア・ロサ」「からかわれた警官」「競争相手」「ラ・ドローレス」「命を奪う恋」「トニのパンツ」(1908)が製作されている。また、イスパノ・フィルムスもホセ・ソリーリャの戯曲を映画化したリカルド・デ・バーニョス監督の「ドン・フアン・テノーリオ」(1908)を製作している。

 デンマークでは、ヴィッゴ・ラースンによる「シャーロック・ホームズ」シリーズが、1908年から1909年の間に6本製作されている。

 ノルウェーは、演劇国として進んでいたが、映画製作の面では遅れていた。1908年に最古のノルウェー映画と言われる、シューリウス・イェンソン監督の「漁夫生活の危難」(1908)が製作されている。

 ポーランドでは、初の長篇劇映画と言われる「ワルシャワのアントーシュ」が、フランス・パテ社でカメラマンをしていたJ・メイエルによって製作されている。



(映画本紹介)
魔術師メリエス―映画の世紀を開いたわが祖父の生涯

 ジョルジュ・メリエスの孫であるマドリーヌ=マルテット・メリエスによるジョルジュ・メリエスの評伝。メリエスの映画製作はもとより、妻や愛人の関係や映画製作を行わなくなってからのメリエスの様子などが描かれている。
 映画製作を行わなくなった後のメリエスが、世間的に言われるほど不幸ではなかったことがわかる。
 身内が書いているので、メリエスびいきになっているのを考慮に入れて読む必要がある。