MPPCと独立系の映画製作会社の対立(2)

 1909年3月、アメリカ国内でMPPCに反対する人々はカール・レムリを中心に独立映画連盟を設立した。外国のフィルムを輸入して配給していたが、映画の本数が足りなくなり、レムリは映画製作会社のインディペンデント・モーション・ピクチャー社(IMP)を設立した。IMPは英語で「小悪魔」を意味し、角の生えた小悪魔を商標にしていた。MPPC側のヴァイタグラフ社のウィリアム・レイナスを監督として雇った。最初の映画「ハイアワサ」(1909)を製作し、1909年の末までには自ら製作した週に1本の1巻もの(10分程度)の作品と、イタリアのイタラ社やアンブロージオ社から輸入した作品を供給するようになった。

 A・ケッセルとC・ボーマンはバイソン社という製作会社を設立した。5セント(ニッケルオデオンの料金)に突進するバイソンを商標とした。彼らは映画製作を専門に従事した最初の独立系映画人とも言われている。1909年初頭から映画を製作、利益をあげた。バイソン社は西部劇を得意にしたという。

 ウィリアム・H・スワンソンはレクス社を創設し、エジソン社からエドウィン・S・ポーターを引き抜いて経営をまかせた。また、パトリック・A・パワーズは、ニューヨーク近郊の撮影所を根城にパワーズ社を設立した。


(映画本紹介)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

アメリカ映画史を社会的、文化的、経済的な側面から眺めた1冊。といっても、それほど難しくはないので、専門的な映画本の入門編としても最適。MPPCの結成から崩壊までについても1節が割かれている。