1909

 イタリアの作品 1909年

「Nero, or the Fall of Rome(ネロ、またはローマ帝国の崩壊)」 イタリアのアンブロージオ社による作品。 暴君として知られる皇帝ネロの物語。ネロは愛人にそそのかされて、妻を殺害する。そのことに怒った民衆を静めるために、ネロはローマに火を放つこと…

 フランス マックス・ランデーの作品 1909年

「MAX ET LA DOCTORESSE」(1909) 英語題「MAX AND THE LADY DOCTOR」 製作国フランス パテ・フレール製作・配給 監督・脚本・出演マックス・ランデー マックスは診察してくれた女医に惚れて結婚を申し込む。 舞台はほぼ1室のみで動きも乏しいが、ほん…

 フランス ゴーモン社の作品 1909年

「ブ=ブ=ミ(LA BOUS-BOUS-MIE)」 ゴーモン社製作 監督ルイ・フイヤード ブ=ブ=ミというダンスを覚えた女性が、友達を集めて狂乱のダンス・パーティを開く。 腰をくねらせて踊るダンスを踊りまくる太目の中年女性の面白さが最大の見所。このダンスは非常…

 D・W・グリフィスの作品 1909年(6)

「A TRAP FOR SANTA(罠にかかったサンタクロース)」 D・W・グリフィス監督作。バイオグラフ社製作。 貧しい家族。仕事が見つからず酒に逃げる男は、妻と子供たちを置いて家を出て行く。残された妻と子供たちは、妻の叔父の家をもらい移り住む。クリスマ…

 D・W・グリフィスの作品 1909年(5)

「CORNER IN WHEAT(小麦の買占め)」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。 社会問題、特に金持ちと貧しい人々の対比を描いた作品は、エジソン社が製作したエドウィン・S・ポーター監督作「THE KLEPTOMANIAC」(1905)など、過去にも例があ…

 D・W・グリフィスの作品 1909年(4)

「THE REDMAN'S VIEW(インディアンの考え)」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。 バイオグラフ社時代(1908〜1913年)のグリフィスは400本以上の作品を製作している。その中には西部劇も多くあるという。西部劇、特に古典的な西…

 D・W・グリフィスの作品 1909年(3)

「THE SEALED ROOM(封印された部屋)」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。 エドガー・アラン・ポー原作の物語の映画化であるこの作品は、11分の短時間の間に王妃の浮気と王の嫉妬、そして復讐というドラマが過不足なく詰め込まれた作品と…

 D・W・グリフィスの作品 1909年(2)

「THE COUNTRY DOCTOR」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。 幸せな医者の家族の一人娘が急に病気となる。治療する医者だが、そこに貧しい家族の娘が病気になったので見に来て欲しいという連絡が。医者は悩むが、義務を優先して貧しい家族の…

 D・W・グリフィスの作品 1909年(1)

「THOSE AWFUL HATS」 D・W・グリフィス監督作品。アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ社(後のバイオグラフ社)。 この作品は、女性に対して、映画鑑賞中は帽子に取るように呼びかける映画となっている。当時の女性たち帽子を被っており、…

 エッサネイ社、IMPの作品 1909年

「MR.FLIP」 「やぶにらみ」の愛称で慕われたベン・ターピン主演。エッサネイ社の作品。 女性の顎を触りたがるベン・ターピン演じる主人公。理容室の女性、バーの女性など、あらゆる女性にちょっかいを出すが、ことごとく仕返しをされてしまうという、4分程…

 ヴァイタグラフ社の作品 1909年(2)

「A MIDSUMMER NIGHT'S DREAM(真夏の夜の夢)」 ヴァイタグラフ社による作品。 ウィリアム・シェイクスピアの「真夏の夜の夢」の映画化。一巻(15分)に凝縮したストーリーは、ストーリーを紹介した字幕が挿入されるものの、原作を知らないとわかりづらい…

 ヴァイタグラフ社の作品 1909年(1)

「PRINCESS NICOTINE; OR, THE SMOKE FAIRY(ニコチン女王)」 ヴァイタグラフ社による作品。 ジョルジュ・メリエス流のトリック映画に、ストップ・モーション・アニメが加わった作品。 喫煙者が眠っている隙に、「ニコチン国の王女」が現れて、パイプの中に入…

 エジソン社の作品 1909年

1908年にMPPCという名のエジソン社を中心としたカルテルが設立されるも、フィルムの本数の不足と質の低下から興行者たちは不満を募らせていた。 エジソン社では、3つのユニットで映画を製作するようになり、ポーターは監督を退いて撮影所の監修役と…

 アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ社の作品 1909年

「THE VOICE OF THE VIOLIN」 監督・脚本D・W・グリフィス バイオリンを中流階級の女性に教えている男性は、実はアナーキストの集団に所属していた。男性は爆弾テロの実行者に選ばれ、爆弾をセットするが、そこは自分がバイオリンを教える女性の家だった。 …

 日本 映画専門雑誌の創刊

映画の人気が高まってきたこの年、映画専門の雑誌「活動写真界」が創刊されている。創刊したのは中島新太郎という人物であり、吉沢商店が出資している。16ページから32ページの月刊誌であるこの雑誌は、出資している吉沢商店のPR誌の意味合いもあった…

 日本 陰台詞への対抗 岩藤思雪

前年(1908年)、エム・パテー商会の「曾我兄弟狩場の曙」の上映の際に人気を呼んだ「陰台詞」(画面の役者に合わせて弁士が科白をしゃべる方式)に反対の立場を取った外国映画の弁士岩藤思雪が、叙述的な説明で筋を運ぶ作品「日本桜」を製作している。…

 日本 吉沢商店の試み

吉沢商店ではこの年、目黒撮影所内に俳優養成所を設置した。だが、この養成所には有望な受講生が集まらず、あまり成果は上がらなかった。また、この年には筋書きを一般から公募し、「焼野のきぎす」という作品が選ばれて150円が贈られている。子供の誘拐…

 日本 エム・パテー商会の大久保撮影所

それまでは野外撮影のみを行っていたエム・パテー商会はこの年、大久保に野天の舞台に天幕を張った撮影所を建設している。所属する技師のほとんどは20代で、入所すると映写技師をやって、クランクを回す速度を覚えた。また、フィルムの染色も盛んに行われ…

 日本 牧野省三と尾上松之助

1908年に映画監督となった牧野省三はこの年、歌舞伎俳優の尾上松之助を見出し、「碁盤忠信源氏礎」(1908)で映画に出演させた。尾上松之助は草創期の日本映画界のスターになっていき、「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれていくことになる。 当時、…

 その他の国の状況

アメリカ人のベンジャミン・ブラスキーが亜細亜影戯公司を設立し、映画製作を開始している。 スペインではこの年、フィルムス・バルセロナがフランクトゥオッソ・ヘラベルトによる「グスマン・エル・ブエノ」「思いがけない風呂」(1909)を製作している…

 パテ社のニュース映画とトリック映画

パテ社が製作していたニュース映画は、1908年よりパリに専門館を持つほどになっていたが、この年になると地方にも配給されるようになった。また、ドイツ版、イギリス版、ロシア版、アメリカ版が作られるようにもなった。 ニュース映画は、以後、全世界で…

 イギリスの映画製作者たちと映画法の制定

映画草創期の劇映画製作において、イギリスの映画製作者たちは活躍を見せたが、この頃になるとかつて活躍したメンバーたちは劇映画製作の第一線から退いている。 ジェームズ・ウィリアムソンは、エジソン社を中心としたMPPCの影響で、アメリカからの注文…

 ロシアの映画製作

フランスのパテ社は当時、各国において国民的性格をもつ映画の製作を組織する戦略で映画製作を行っていた。ロシアではこの年、ワシーリ・ゴンチャロフを雇い入れ、カイ・ハンセンと共同で「ディミトリ・ドンスコイの生涯における一つのエピソード」(190…

 文芸作品の波及 イタリア、デンマーク

フランスで隆盛した文芸映画作品は、イタリアにも飛び火した。アンブロージオ社は、「黄金シリーズ」と題し、文芸映画を製作した。 アンブロージオ社では、ルイジ・マッジ監督「偽証の女」(1909)が製作されている。この作品から、書割や安っぽいセット…

 フランス、文芸作品の行方

昨年設立されたフィルム・ダール社は、「ギーズ公の暗殺」(1908)で批評家の賛辞を浴びたが、興行的には失敗し、この年の6月の段階で8万フランの赤字を出した。責任を取る形で社長が代わり、劇作家のポール・ガヴォーが社長に就任した。ガヴォーは、…

 アドルフ・ズーカーの危機

当時、映画館の経営者だったアドルフ・ズーカーは、この年経営危機に陥ったが、パテ社製作の「我らが主なるイエス・キリストの生涯と受難」(1907)の上映で乗り切った。以後、ズーカーは自分の映画館にはヨーロッパ映画を上映し、他の映画館が週替わり…

 アメリカにおける検閲

1907年、シカゴでは警察が検閲を行うことが出来る条例が制定されていたが、実際には使われることがなかった。だが、1909年には、シカゴの少年保護協会が条例強化を提起し、警察当局が検閲するようになった。 1909年末、シカゴの映画館主が検閲に…

 D・W・グリフィスの活躍(3)

この年の11月に、グリフィスの撮影隊はカリフォルニアで撮影を行っている。小さなスタジオでは難しかったアングルの変化が容易となり、カリフォルニアの自然風景や遺跡を使用した作品を撮影することができ、以後、毎年冬になるとカリフォルニアで撮影する…

 D・W・グリフィスの活躍(2)

グリフィスは、カメラマンのビリー・ビッツァーと一緒に、人工照明の表現力豊かな利用法を研究した。「エドガー・アラン・ポー」「政治家の恋物語」「大酒飲みの回心」「ピッパが通る」(1909)では新鮮味のあるライティングを見せているという。例えば…

 D・W・グリフィスの活躍(1)

バイオグラフ社で監督を行ったD・W・グリフィスは、演技を重要視して、俳優集団を抱えていた。ちなみに、後にキーストン社においてドタバタ喜劇で一時代を築くマック・セネットも、この年からグリフィス作品に出演している。 そのグリフィスが重視した俳優…